2014年09月29日
セル&クリーヴランド管のマーラー:交響曲第10番より「アダージョ」、ストラヴィンスキー:組曲「火の鳥」ほか
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セル&クリーヴランド管弦楽団による演奏がいかに凄まじいものであったのかが理解できる1枚だ。
このコンビによる全盛時代の演奏は、オーケストラの各楽器セクションが1つの楽器が奏でるように聴こえるという、「セルの楽器」との呼称をされるほどの鉄壁のアンサンブルを誇っていた。
米国においては、先輩格であるライナーを筆頭に、オーマンディやセル、そして後輩のショルティなど、オーケストラを徹底して鍛え抜いたハンガリー人指揮者が活躍していたが、オーケストラの精緻な響きという意味においては、セルは群を抜いた存在であったと言っても過言ではあるまい。
もっとも、そのようなセルも、オーケストラの機能性を高めることに傾斜した結果、とりわけ1960年代半ば頃までの多くの演奏に顕著であるが、演奏にある種の冷たさというか、技巧臭のようなものが感じられなくもないところだ。
本盤に収められた演奏も、そうしたセルの欠点が顕著であった時期の演奏ではあるが、楽曲がマーラーやウォルトン、そしてストラヴィンスキーといった近現代の作曲家によるものだけに、セルの欠点が際立つことなく、むしろセルの美質でもある鉄壁のアンサンブルを駆使した精緻な演奏が見事に功を奏している。
特に、冒頭におさめられたマーラーの交響曲第10番は二重の意味で貴重なものだ。
セルはそもそもマーラーの交響曲を殆ど録音しておらず、本演奏のほかは、第4番(1965年スタジオ録音)と第6番(1967年ライヴ録音)しか存在していない(その他、歌曲集「子供の不思議な角笛」の録音(1969年)が存在している)。
加えて、第10番については、定番のクック版ではなく、現在では殆ど採り上げられることがないクレネク版が採用されているところである。
アダージョのみならず第3楽章に相当するプルガトリオを収録しているのも貴重であり、加えて演奏が精緻にして緻密な名演であることに鑑みれば、セルは、録音の数は少なくても、マーラーに対して一定の理解と愛着を抱いていたと言えるのではないだろうか。
ウォルトンのオーケストラのためのパルティータやストラヴィンスキーの組曲「火の鳥」は、いずれも非の打ちどころがない名演であり、クリーヴランド管弦楽団による一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを駆使して、複雑なスコアを明晰に音化することに成功し、精緻にして華麗な演奏を展開している。
とりわけ、組曲「火の鳥」の「カスチェイ王の凶暴な踊り」においては、セルの猛スピードによる指揮に喰らいつき、アンサンブルにいささかも綻びを見せない完璧な演奏を展開したクリーヴランド管弦楽団の超絶的な技量には、ただただ舌を巻くのみである。
いずれにしても、本盤に収められた演奏は、全盛期にあったセル&クリーヴランド管弦楽団による完全無欠の圧倒的な名演と高く評価したい。
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コメント一覧
1. Posted by BBR 2014年01月02日 21:27
ご承知かとは存じますが、セルのマーラーには、記載された以外に、1965年録音の第4番の素晴らしい演奏があります。特に第1楽章の充実度には聴く度に惚れ惚れします。
2. Posted by 和田 2014年01月02日 21:29
ご指摘ありがとうございます。忘れていました。訂正させて頂きます。それも素晴らしい演奏ですね。
セルの手にかかるとマーラーの複雑・精緻・入念な管弦楽法がいとも鮮やかに現実となって鳴り響きます。
第4番の童画風の静澄さをもった作品では、それがきわめて効果的でした。
純音楽的とも言えますが、この演奏の清新な感覚と均整のとれた解釈は、今も古さを感じさせず、ラスキンの歌唱もセルの解釈にふさわしいと思います。
セルの手にかかるとマーラーの複雑・精緻・入念な管弦楽法がいとも鮮やかに現実となって鳴り響きます。
第4番の童画風の静澄さをもった作品では、それがきわめて効果的でした。
純音楽的とも言えますが、この演奏の清新な感覚と均整のとれた解釈は、今も古さを感じさせず、ラスキンの歌唱もセルの解釈にふさわしいと思います。