2014年10月14日
マタチッチ&N響のベートーヴェン:交響曲第6番「田園」、レオノーレ序曲第3番、ワーグナー:マイスタージンガー前奏曲(1967年ライヴ)
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1967年11月25日 新潟県民会館に於けるライヴ録音。
昭和39年の新潟地震で全国から寄せられた義援金で建てられた新潟県民会館、そのこけら落としとして震災からの復興を祈念するコンサートの貴重な録音。
中越地震、中越沖地震と続いている新潟の復興を考えるとき、施しのバラマキや偏狭な現場保存パーク、すぐ忘れられてしまう前衛芸術モニュメント設置など比べて、あの時代の謙虚さ、暖かさを感じる、意味深い1枚である。
メインの「田園」は、荒削りだが重厚な響きとおおらかな歌心が、民芸品の木彫りの熊や円空仏を思わせる温かみを感じさせる。
それにしても何と重厚で人間味に溢れた「田園」であろうか。
独墺系の作品との抜群の相性をみせる巨匠特有のずっしりとした骨太の響きが大きな魅力となっており、いっぽう第2、3楽章での弾むような軽みには粋を感じさせる。
低弦のうなり、第2楽章での主題の歌わせ方は速いスピードながら輪郭線がくっきりと鮮やかで、強弱をつけながら存分に歌う音楽が聴き手の心を弾ませる。
田舎でのバカンスを楽しむのんびりタイプや、スポーツカーで吹っ飛ばすような快速演奏タイプなどとは異なり、あたかも「農耕機で田んぼを耕しながら見ている」土着の田園、という趣。
形も不揃いな流木を組み合わせて作られたログハウスみたいな外観だが、一見ささくれだったようなその木肌に近寄ってみると、その表面は人為的でない自然の奇蹟の力によるかのような光沢を放っており、なんか容易に触れてはいけないのではないか、と思わせてしまう雰囲気である。
テンポは遅くはないが(終楽章はかなり速い)、ずっしりと重く、自然を讃えるよりも、粗野な人間の味がする。
レオノーレ、マイスタージンガーの2曲は、堂々たるドイツ風な威容のある、いかにもマタチッチらしい武骨で風格に満ちた輝かしい演奏。
この指揮者の当シリーズを聴いて、常に思うが、当時の日本のオケからこれだけの響きを引き出せることに感心することしきりで、今の世にこの重量感を出せる指揮者がいないのが寂しい気がする。
このCDですばらしいのはライナーノーツだ。
それは指揮者北原幸男による「マタチッチ先生の最後の来日のために」と題されたエッセイである。
当時マタチッチと近しい関係にあった北原氏が、N響事務局に依頼され、定期演奏会招聘の交渉のため、旧ユーゴスラヴィアのマタチッチの自宅を訪問する。
アドリア海に面した大邸宅での会談の様子、夫人とのエピソードなどが記されている。
晩年彼が「忽然と」N響の指揮台に現れたのはこんないきさつがあったのか、と納得させられる文章である。
巨人の手すさびとも言えるような「田園」、そしてアンコールで演奏された、豪快さが前面に出た「マイスタージンガー前奏曲」を聴きながら、大海に向かって悠々と巨躯を歩ませる愛すべき名指揮者の姿を思い浮かべた。
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