2014年11月02日
バーンスタイン&ニューヨーク・フィルのマーラー:交響曲第7番「夜の歌」
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マーラーの「第7」は、最近では多くの指揮者によって数々の名演が成し遂げられており、他の交響曲と比較しても遜色のない演奏回数を誇っているが、本盤の録音当時(1985年)は、マーラーの他の交響曲と比較すると一段下に見られていたのは否めない事実である。
本盤と、ほぼ同時期に録音されたインバル&フランクフルト放送交響楽団による名演の登場によって、現代における「第7」の名演の隆盛への道が開かれたと言っても過言ではないところである。
その意味では、本盤に収められた演奏は、「第7」の真価を広く世に認知させるのに大きく貢献した至高の超名演と高く評価したい。
ここでのバーンスタインの演奏は、他の交響曲におけるアプローチと同様に実に雄弁であり、濃厚さの極みである。
バーンスタインの晩年の演奏は、マーラー以外の作曲家の楽曲においても同様のアプローチをとっており、ブラームスの交響曲全集やドヴォルザークの「第9」、シベリウスの「第2」、チャイコフスキーの「第6」、モーツァルトのレクイエム、ショスタコーヴィチの「第7」など、雄弁ではあるが、あまりにも大仰で表情過多な面が散見され、内容が伴っていない浅薄な凡演に陥ってしまっているものが多い。
ところが、同じようなアプローチでも、マーラーの交響曲や歌曲を指揮すると、他の指揮者の演奏を圧倒する素晴らしい名演が仕上がるという結果になっている。
これは、バーンスタインがマーラーの本質を誰よりも深く理解するとともに、心底から愛着を抱いていたからに他ならず、あたかもマーラーの化身のような指揮であるとさえ言える。
本盤の「第7」も、第1楽章の葬送行進曲における激しい慟哭から天国的な美しさに至るまで、表現の幅は桁外れに広範。
これ以上は求め得ないような彫りの深い濃密な表現が施されており、その情感のこもった音楽は、聴き手の深い感動を呼び起こすのに十分だ。
また、「第7」の愛称の理由でもある第2楽章及び第4楽章の「夜の歌」における情感の豊かな音楽は、至高・至純の美しさを誇っている。
終楽章の光彩陸離たる響きも美しさの極みであり、金管楽器や弦楽器のパワフルな力奏も圧巻の迫力を誇っている。
ここには、まさにオーケストラ演奏を聴く醍醐味があると言えるだろう。
「第7」の評価が低い理由として、終楽章の賑々しさを掲げる者が多いが、バーンスタインが指揮すると、そのような理由に何らの根拠を見出すことができないような内容豊かな音楽に変貌するのが素晴らしい。
録音の当時、やや低迷期にあったとされるニューヨーク・フィルも、バーンスタインの統率の下、最高のパフォーマンスを示しているのも、本名演の大きな魅力の一つであることを忘れてはならない。
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