2016年11月27日
小澤&トロント響のメシアン:トゥーランガリラ交響曲/武満徹:ノヴェンバー・ステップス、他
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本盤は30代の小澤征爾がRCAへ録音した最も初期の、実質的には小澤のデビュー・レコードであるが、その清新な演奏は今も魅力を失っておらず、80歳を超えた現時点においても、これまでの数多い小澤のディスコグラフィの中でも、トップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。
とにかく、この当時の小澤の途轍もない力強い生命力と、作品の本質にぐいぐいと切り込んで行く鋭いアプローチは、凄いの一言であり、若き日の小澤のダイナミックで官能的でしかも精緻な音楽的特質がよくあらわれている。
メシアンのトゥーランガリラ交響曲にしても、武満のノヴェンバーステップス等にしても、いずれも難曲であるとともに、本盤の録音当時は、他にも録音が非常に少ないということもあり、演奏をすること自体に大変な困難を伴ったことが大いに予想されるところだ。
そのような厳しい状況の中で、30代の若き小澤が、これほどの自信と確信に満ち溢れた堂々たる名演を繰り広げたというのは、小澤の類稀なる才能とともに、現代の大指揮者小澤を予見させるのに十分な豊かな将来性を感じさせられる。
メシアンにしても、武満にしても、若き小澤を高く評価したのも十分に理解できるところであり、奇を衒うことのない非常にオーソドックスで、しかも優れたこれらの名録音は、いずれもLP発売以来一度もカタログから消えたことがない名盤である。
小澤はトゥーランガリラ交響曲の日本初演を行ったことからもわかるとおり、曲の隅々まで精通して作曲家メシアンの厚い信頼を得ての録音であり、メシアンの官能的な色彩をこれだけ、あられもなく表現した例は他になく、メシアンと小澤の信頼関係が晩年まで続いた事も大いに頷けるところだ。
トロント交響楽団のアンサンブルも優れたもので、実力を出し切っており、第5楽章の〈星の血の歓喜〉の困難なパッセージや、第6楽章の〈愛と眠りの園〉における天国的な旋律の歌い方なども大変秀逸である。
イヴォンヌ・ロリオのピアノが大変瑞々しく、またジャンヌ・ロリオのオンド・マルトゥノの音も存在感が溢れるよう録音されている。
ノヴェンバー・ステップスは、武満徹の名を世界に知らしめ、不動のものとした日本のクラシック音楽界にとって歴史的な録音で、小澤32歳の、初演後まもなくの熱気を感じさせる。
伝統音楽にはなかった琵琶と尺八の出会い、和楽器とオーケストラの出会いを演出した戦後の名作で、たっぷりと余韻を楽しみながら演奏されている。
琵琶と尺八をオーケストラと対峙させるというアイディア(これは委嘱してきたニューヨーク・フィルからの注文だったらしいが)もさることながら、ヨーロッパの追従に偏っていた日本の音楽界にわが国の古典音楽を突き付けたショックは今聴いても強烈で、フレーズ1つ1つに力がこもり、音の運動性と存在感が作品に命を与えている。
鶴田錦史(琵琶)・横山勝也(尺八)の両ソリストの名技に全面依存した作品でもあり、その最初の出会いを記録した本演奏はまさに歴史的名盤と呼ぶにふさわしい。
近年の演奏に比べれば粗削りだが、音に生気が漲っているせいか、不思議と、新しいものに出会った演奏家たちの驚きや喜びが伝わってくる。
武満本来の静謐の美学とは少しズレもあるが、特に彼の作風に含まれる西欧的な性質を強調したことによって、海外での受容が促進されたのかもしれない。
図形楽譜による琵琶と尺八だけの長大なカデンツァの部分は、楽譜にいくつかの断片が与えられているだけなので、本来は自由な順に演奏できるのだが、この時期にはまだ、鶴田も横山も試行錯誤で、後のように順番を固定してはいなかった。
トゥーランガリラ交響曲やノヴェンバー・ステップス等には、本盤の後、様々な指揮者の手により相当数の録音が行われたが、未だに本盤を凌駕する名演が登場していないというのは、本盤の演奏の水準の高さに鑑みれば、当然のような気がする。
そしてこの若き日の小澤を永遠に記録する名録音は、新たなリマスタリングとBlu-spec-CD化によって、驚異の高音質に生まれ変わった。
本当は、SACDで発売して欲しいところであるが、それでもこれだけの高音質でこの歴史的な「音の世界遺産」とも言うべき若き小澤の素晴らしい超名演を味わうことができるのだから、文句は言えまい。
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