2014年12月21日
ポリーニのベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番〜第32番[SACD]
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これは、本SACD&SHM−CD盤を聴く前までは、評価の難しい演奏であった。
ポリーニの研ぎ澄まされた鋭いタッチ、抜群のテクニックに裏打ちされたポリーニのピアニズムを、未来志向の新しい前衛的な表現と見るのか、それとも技術偏重の無機的な浅薄な表現と見るのかは、聴き手の好みにも大いに左右されるものと考える。
筆者としては、どちらかと言えば、後者の考え方を採りたい。
ベートーヴェン晩年のピアノ・ソナタをポリーニは、一点の曇りもない完璧なテクニックで弾き抜いている。
まさに、唖然とするテクニックと言うべきで、場面によっては、機械じかけのオルゴールのような音色がするほどだ。
このような感情移入の全くない無機的な表現は、ベートーヴェンのもっとも深遠な作品の解釈としては、いささか禁じ手も言うべきアプローチと言えるところであり、筆者としては、聴いていて心を揺さぶられる局面が殆どなかったのが大変残念であった。
他方、これを未来志向の前衛的な解釈という範疇で捉えるという寛容な考え方に立てば、万全とは言えないものの、一定の説得力はあると言うべきなのであろう。
それでも、やはり物足りない、喰い足りないというのが正直なところではないか。
ポリーニには、最近は、バッハの平均律クラーヴィア曲集などの円熟の名演も生まれており、仮に、現時点において、これらの後期ピアノ・ソナタ集を録音すれば、かなりの名演を期待できるのではないかと考える。
しかしながら、今般、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところであり、本演奏に対する評価についても大きく変更を余儀なくせざるを得ないところだ。
こうして、鮮明かつ臨場感溢れる極上の高音質で聴くと、これまで感情移入の全くない無機的な表現と思われていたポリーニによる本演奏が、実は驚くほどの絶妙なニュアンスや表情づけがなされていることが理解できたところである。
かかるポリーニによる演奏は、未来志向の前衛的な解釈という範疇で捉えることが可能であるとともに、血も涙もない無機的な演奏ではなく、むしろポリーニなりに考え抜かれた懐の深さを伴った演奏と言えるのではないだろうか。
もちろん、バックハウスやケンプなどによる人生の諦観さえ感じさせる彫りの深い至高の名演と比較して云々することは容易であるが、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。
いずれにしても、本演奏は、ポリーニの偉大な才能を大いに感じさせる素晴らしい名演と高く評価したい。
それにしても、音質によってこれだけ演奏の印象が変わるというのは殆ど驚異的とも言うべきであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。
ポリーニによる素晴らしい名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
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