2014年12月19日
チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルのブラームス:交響曲第4番、R.シュトラウス:死と変容、他
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本盤には、今や伝説的ともなったチェリビダッケの1986年の来日公演の中から、ブラームスの交響曲第4番、R・シュトラウスの交響詩「死と変容」、そして、ロッシーニの歌劇「どろぼうかささぎ」序曲、ブラームスのハンガリー舞曲第1番ト短調、ヨハン&ヨーゼフ・シュトラウス:ピツィカート・ポルカといった小品が収められている。
特に、ブラームスの交響曲第4番については、チェリビダッケ自身がその演奏の出来に大変満足していただけに、今般CD化され発売される運びとなったことは、チェリビダッケのファンのみならず、多くのクラシック音楽ファンにとっても誠に慶賀に堪えないことであると言えるだろう。
それにしても、何という圧倒的な音のドラマであろうか。
チェリビダッケは、リハーサルにあたって徹底したチューニングを行ったが、これは、音に対する感覚が人一倍鋭かったということの証左である。
楽曲のいかなるフレーズであっても、オーケストラが完璧に、そして整然と鳴り切ることを重視していた。
それ故に、それを実現するためには妥協を許さない断固たる姿勢とかなりの練習時間を要したことから、チェリビダッケについていけないオーケストラが続出したことは想像するに難くない。
そして、そのようなチェリビダッケを全面的に受け入れ、チェリビダッケとしても自分の理想とする音を創出してくれるオーケストラとして、その生涯の最後に辿りついたのが、本盤の演奏を行っているミュンヘン・フィルであった。
また、チェリビダッケの演奏は、かつてのフルトヴェングラーのように、楽曲の精神的な深みを徹底して追求しようというものではない。むしろ、音というものの可能性を徹底して突き詰めたものであり、まさに音のドラマ。
これは、チェリビダッケが生涯にわたって嫌い抜いたカラヤンと基本的には変わらない。
ただ、カラヤンにとっては、作り出した音(カラヤンサウンド)はフレーズの一部分に過ぎず、1音1音に拘るのではなく、むしろ流麗なレガートによって楽曲全体が淀みなく流れていくのを重視していたが、チェリビダッケの場合は、音の1つ1つを徹底して鳴らし切ることによってこそ演奏全体が成り立つとの信念の下、音楽の流れよりは1つ1つの音を徹底して鳴らし切ることに強い拘りを見せた。
もっとも、これではオペラのような長大な楽曲を演奏するのは困難であるし、レパートリーも絞らざるを得ず、そして何よりもテンポが遅くなるのも必然であった。
したがって、チェリビダッケに向いた楽曲とそうでない楽曲があると言えるところであり、本盤に収められたブラームスの交響曲第4番やR・シュトラウスの交響詩「死と変容」については、前述のようなチェリビダッケのアプローチがプラスに働いた素晴らしい名演と言えるだろう。
確かに、テンポは遅い。
しかしながら、両曲をチェリビダッケ以上に完璧に音化した例は他にはないのではなかろうか。
いずれにしても、これら両曲の演奏を演奏時間が遅いとして切り捨てることは容易であるが、聴き終えた後の充足感においては、過去の両曲のいかなる名演にも決して引けを取っていないと考えられるところである。
その他の小品も、チェリビダッケならではのゆったりとしたテンポによる密度の濃い名演と評価したい。
チェリビダッケの徹底した拘りと厳格な統率の下、まさに完全無欠の演奏を行ったミュンヘン・フィルによる圧倒的な名演奏に対しても大きな拍手を送りたい。
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