2015年04月28日
ベロフのドビュッシー:前奏曲集第1巻、子供の領分、他(新盤)
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右腕の故障から復活を遂げたベロフが、1994年にスタートさせた2回目のドビュッシーピアノ作品全集録音は、フランスの知性と感性が美しく融合した現代におけるドビュッシー演奏のひとつの解答として世界中で絶賛された名盤である。
かつてベロフは、EMIにドビュッシーのピアノ作品全集を録音しており、当該演奏も、ベロフの今日の名声をいささかも傷つけることがない名演と言えるところだ。
しかしながら、演奏の持つ内容の濃さ、そして楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような彫りの深さ、そして各楽想を描き出していくに際してのきめの細かさにおいて、2度目の全集の各ピアノ曲の演奏が断然優れていると評価し得る。
その中でも、ドビュッシーの前奏曲集第1巻や子供の領分は、その作曲家としての天才性を発揮した名作であるが、それ故に、あまたのピアニストがこれまで様々な名演を成し遂げてきた作品でもある。
そうした中で、べロフの演奏も、それら古今東西の名演の中でも十分に存在感のある名演と高く評価したい。
ベロフの約20年ぶりとなる再レコーディングでは、録音技術も向上したせいもあって、彼のタッチも響きも卓越したリズムも克明に聴く事ができる。
ドビュッシーは、印象派と称される作曲家でもあるだけに、前奏曲集第1巻や子供の領分を構成する各小曲において、安定したテクニックだけでなく、味わいのある詩情が必要となる。
この詩情を情感豊かに表現できなければ、それこそ単なるピアノ練習曲の世界に陥ってしまう。
しかしながら、べロフについてはそのような心配は全く御無用で、遥かに円熟の度を増した表現は音楽の核心を捉え深い味わいに満たされる。
それにしても、何と言う美しい演奏であろうか。
ドビュッシーのピアノ作品は、いかにも印象派とも言うべきフランス風の詩情溢れる豊かな情感、そして繊細とも言うべき色彩感などを含有しているが、ベロフはそれらを研ぎ澄まされたテクニックをベースとして、内容豊かに、そして格調の高さをいささかも失うことなく描き出している。
そしてべロフは、卓越した技量をベースとしつつも表情の変転なども巧みに行っており、加えて、演奏の端々から漂ってくるフランス風のエスプリ漂う詩情豊かで瀟洒な味わいには抗し難い魅力に満ち溢れている。
どの曲も見事な出来映えであるが、特に、前奏曲集第1巻の中でも最高傑作とされる「沈める寺」の情感豊かな演奏は圧倒的だ。
有名な「亜麻色の髪の乙女」は、表情過多のあまりいささか身構え過ぎのような気もしないでもないが、単なるムード音楽に堕していない点は評価したい。
子供の領分の各楽曲の描き分けも、べロフ自身も楽しんで演奏しているような趣きがあり、その芸術性の高さは、さすがと言うべきである。
右手故障という不遇な人生から見事復活を遂げたベロフの演奏には、何よりもピアノを、特に自国の作曲家を演奏する喜びを感じる。
ドビュッシーのピアノ作品を得意としたピアニストには、ギーゼキングをはじめとして、フランソワ、ミケランジェリなどあまたの個性的なピアニストが存在している。
それらはいずれも個性的な超名演を展開しており、こうした個性的という点においては、ベロフの演奏はいささか弱い点があると言えるのかもしれない。
しかしながら、演奏内容の詩情豊かさ、彫りの深さといった点においては、ベロフによる演奏は、古今東西のピアニストによるドビュッシーのピアノ曲の名演の中でも、上位にランキングされる秀逸なものと評しても過言ではあるまい。
いずれにしても、本盤に収められた諸曲の演奏は、まさにドビュッシーのピアノ曲演奏の理想像の具現化とも言うべき素晴らしい名演と高く評価したいと考える。
そして、今般、かかるベロフによる素晴らしい名演がBlu-spec-CD化がなされたということは、本演奏の価値を再認識させるという意味においても大きな意義がある。
ベロフによる研ぎ澄まされたピアノタッチが鮮明に再現されており、従来CD盤との音質の違いは歴然としたものがあると言えるところだ。
いずれにしても、ベロフによる素晴らしい名演をBlu-spec-CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。
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