2022年05月26日
鬼才の面目躍如たる超個性的な演奏、アファナシエフのシューベルト:ピアノ・ソナタ第21番(再録音)
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とにもかくにも存在感のある演奏である。
アファナシエフと言えば、例えばブラームスの後期のピアノ作品集とか、バッハの平均律クラヴィーア曲集などの、いかにも鬼才ならではの個性的な名演が思い浮かぶが、このシューベルトの最後のソナタも、鬼才の面目躍如たる超個性的な演奏に仕上がっている。
アファナシエフが奏でるシューベルトは、凍りついた熱狂に満ち満ちていて、聴く者にある恐怖心を植えつける、凄い演奏ではある。
ただ、この演奏、私見ではあるが名演と評価するのにはどうしても躊躇してしまう。
確かにこれを初めて聴いたときは驚かされた。
シューベルトの長い長いピアノ・ソナタを、アファナシエフはさらにことさらゆっくりと弾いて行くのだ。
間のとり方も尋常ではなく、ついつい耳をそばだたされて聴かされてしまうという構図だ。
ところが、2回目聴くと、奏者の計算が見えてきてもはや驚きなどなくいわば冷めた観察眼による鑑賞へ転じてしまうのだ。
シューベルトの最後のソナタは、シューベルト最晩年の清澄な至高・至純の傑作であり、短か過ぎる生涯を送った天才がもつ暗い底なしのような心の深淵、ともすれば自分も一緒に奈落へと引きづり込まれてしまうのではないか。
その内容の深さは他にも類例を見ないが、同時に、ウィーンを舞台に作曲を続けた歌曲王ならではの優美な歌謡性も持ち味だ。
ここでのアファナシエフの極端なスローテンポは信じられないほどだ。
ゆっくりとさらに断片化されたシューベルトのソナタは、1つ1つ刻印をきざむ様にしなければ前に進まない。
そこには美しい音もあるが、ある意味苦行とも言える部分がある。
これがシューベルトの苦悩なのかわからないが、アファナシエフの問いかけのような遅い進みは、様々な空想を孕む一方で、私達の集中力の限界との戦いというリアルな問題まで勃発している。
これは確かに存在感のある録音である。
しかし、聴く人にはある程度の覚悟を要する録音と言えるところであり、少なくとも「これからシューベルトを聴いてみる」という人にはお薦めできない。
特に第1楽章の超スローテンポ、時折見られる大胆なゲネラルパウゼは、作品の内容を深く掘り下げていこうという大いなる意欲が感じられるが、緩徐楽章になると、旋律はボキボキと途切れ、音楽が殆ど流れないという欠点だけが際立つことになる。
これでは、作品の内容の掘り下げ以前の問題として、聴き手としてもいささかもたれると言わざるを得ない。
もっとも、ポリーニの無機的な演奏に比べると、十分に感動的な箇所も散見されるところであり、凡演というわけではないと考える。
シューベルトのこれらの楽曲について、ある程度知った人が「アファナシエフを聴いてみる」ためのディスクと言えよう。
再録音で、音質は相当に鮮明になった点は高く評価したい。
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