2015年06月14日
ミケランジェリのドビュッシー:前奏曲集第1巻/映像
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前奏曲第1巻は、1978年に録音されているが、豊かな音楽センスで表現においてもタッチと音色においても徹底的に磨き上げられたような演奏を聴くことができる。
ミケランジェリの粒だちのよい音色と、消えようとする響きの美しさを万全に引き出した、透明感のあるピアニズムが魅力的だ。
ミケランジェリは、楽器から出しうる限りのヴァラエティに富んだ音色と、磨き抜かれた感覚によって、独自のピアニスティックな世界を築いている。
研ぎ澄まされた表現と精妙な色彩を湛えた響きによって、1曲1曲を実に克明に描き切っている。
1音1音が徹底的に磨き上げられており、実に美しく、しかもテクニックは冴えわたっており、非の打ちどころがない。
曖昧な雰囲気や気分の移ろいといったものを削ぎ落とした演奏は、必ずしも気楽に楽しめるものではないが、厳しい造形と彫りの深い表現をもつ演奏は、各曲の個性と魅力を絶妙な感覚で描き分け、まことにデリケートなニュアンスと透徹した詩情を湛えている。
まさに寸分の隙もなく、完璧に仕上げられた演奏と言えるところであり、聴くたびに徹底した表現上の工夫、幅の広さに感心させられてきた。
表現においても、タッチと音色においても、これほど、デリケートでかつ多彩きわまりなく、徹底的に磨き抜かれた演奏はないだろう。
ことに、抒情的な曲では、前の音の余韻を受けながら、次の音が精妙に絡み合っているのがよくわかる。
また、リズミカルな曲は高音の美麗さがすばらしく、色彩的で明るい音は見事だ。
全体に、思い入れたっぷりの表現となっているところが、いかにもこの人らしい。
細部の細部に至るまで、デリケートで、複雑なニュアンスが込められたミケランジェリのピアノから生まれているのは、まさしく貴族主義的であり、かつまた神秘主義的なドビュッシーと言えるだろう。
その演奏は、たとえば〈亜麻色の髪の乙女〉のような曲でも、決してムードに流れることはない。
特に、〈デルフィの舞姫〉に聴くデリカシー、ゆったりとした呼吸で幻想的に描いた〈沈める寺〉に聴くダイナミズムの凄さなど、どれをとっても素晴らしい。
前奏曲第1巻の、そして、この鬼才ならではのピアノ芸術の最高の成果がここにあると言ってよいだろう。
また、《映像》第1集の〈水の反映〉を、これほど繊細に表現できる人というのも少ない。
また生き物のように息づく三連音符を、絶妙なタッチで演奏した〈動き〉や、東洋風の絵画を思わせる第2集の〈荒れた寺にかかる月〉も、響きの多彩さと余韻に魅せられる。
そして情緒的表現を切り詰め、精妙にして透徹した、ミケランジェリならではのイマージュ《映像》を作りあげている。
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