2015年01月09日
ポゴレリチのショパン:24の前奏曲
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これは1980年のショパン・コンクールで前代未聞の大胆な解釈で物議を醸し、衝撃的なデビューを飾ったイーヴォ・ポゴレリチの途轍もない超名演だ。
ショパンの前奏曲には、本盤の前には、オーソドックスなルービンシュタインの名演や、フランス風のエスプリを織り交ぜた個性的なフランソワなど、名演が目白押しであり、そうした並みいる名演の中で、存在感を示すのは、並大抵の演奏では困難であった。
ところが、このポゴレリチ盤は、海千山千の難敵を見事に打ち破ってくれた。
ポゴレリチのショパンは、見事にショパンの情念をピアノ音楽として徹底的に生み出すことに成功している。
それは、彼の激しいエモーションが原動力となって可能となっているのである。
それにしても、何という個性的で独特な解釈なのだろう。
唖然とするようなテクニックにも圧倒されるが、一部の人が高く評価するポリーニのように、機械じかけとも評すべき無機的な演奏には決して陥っていない。
深い瞑想から何かを得て紡がれたような音楽が奏でられていて、どの曲をとっても、切れば血が吹き出てくるような力強い生命力に満ち溢れている。
24の前奏曲は、サロン的な優雅で心地よいショパンとは根本的に違うのだと改めて感じさせられる。
また、各楽曲の弾き分けは極端とも言えるぐらいの緩急自在の表現を示しており、例えば、「雨だれ」として有名な第15番と、強靭な打鍵で疾走する第16番の強烈な対比。
それが終わると、今度は第17番で、再び深沈たる味わい深さを表現するといったようなところだ。
ポゴレリチの凄さは、これだけ自由奔放とも言える解釈を示しながら、決してあざとさを感じさせないということだろう。
それは、ポゴレリチが、ショパンの前奏曲の本質をしっかりと鷲掴みにしているからにほかならない。
鮮烈な解釈といい、肺腑を抉るような痛切な抒情といい、このピアニストは尋常ではない。
楽譜を片手に細かいところに目を通せば、異端と言われるようなところもあるかもしれないが、異端児というよりは、真摯に作曲家とその作品に向き合った1人の芸術家なのではないだろうか。
天才の色褪せぬ名盤であり、今後、このポゴレリチ盤を超える名演は果たして現れるのだろうか。
彼の後に続くピアニストにとっても、本盤は相当な難問を提示したと言えるだろう。
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