2015年01月09日

フルトヴェングラー&ウィーン・フィルのブルックナー:交響曲第8番(1954年ライヴ)、他


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フルトヴェングラーのブルックナーの「第8」の1954年盤については、クナッパーツブッシュの演奏ではないかとの説が存在しているが、本盤の名演を聴いて、そんな疑念はすっかりと吹き飛んでしまった。

第1楽章のゆったりとした深沈たるインテンポの表現を聴いていると、確かに、そのような説を唱える者にも一理あると思ったが、第2楽章のスケルツォの猛スピードの演奏と、中間部のゆったりとしたテンポの極端な対比や、第3楽章のうねるような熱いアダージョの至高美、そして終楽章のものものしい開始や、ドラマティックな展開など、フルトヴェングラーならではのテンペラメントな世界が全開だ。

仰ぎ見ると…その途轍もなく巨大な威容に圧倒され、覗き込むと…底知れぬ暗澹たる深みに震えが来る。

それほど演奏の「深度」は形容しがたいほど深く、1音1音が明確な意味付けをもっているように迫ってくる。

テンポの「振幅」は、フルトヴェングラー以外の指揮者には成し得ないと思わせるほど大胆に可変的であり、強奏で最速なパートと最弱奏でこれ以上の遅さはありえないと感じるパートのコントラストは実に大きい。

しかしそれが、恣意的、技巧的になされているとは全く思えないのは、演奏者の音楽への没入度が凄いからである。

これほど深遠な精神性を感じさせる演奏は稀有中の稀有であると言えるところであり、根底に作曲家すら音楽の作り手ではなく仲介者ではないかと錯覚させる、より大きな、説明不能な音楽のエートスを表現しようとしているからであろうか。

「フルトヴェングラー体験」をしたいリスナーには、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームス等の伝説の名演とともに欠くべからざる一角を占める演奏である。

改訂版の使用であり、終楽章には大幅なカットや、ブルックナーらしからぬ厚手のオーケストレーションが散見されるが、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。

あと10年生きていてくれたら、フルトヴェングラーはさらなる崇高な高みの境地に至っていたのではないかを思わせる。

グランドスラムによる復刻は、この当時のものとは言えないくらい鮮明なものであり、特に低弦による重量感溢れる迫力には大変驚かされた。

ボーナストラックのワーグナーやマーラーも定評ある名演。

特に、マーラーのさすらう若人の歌は、各楽章ごとの巧みな描き分けが見事であり、殆どマーラーを指揮していないにもかかわらず、これほどの超名演を成し遂げたフルトヴェングラーの偉大さにあらためて感じ入った。

若きフィッシャー=ディースカウも、その後の洋々たる将来を予見させるのに十分な見事な歌唱を披露している。

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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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