2015年03月11日

クレンペラーのブルックナー:交響曲選集


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「第4」は、クレンペラーとしてはやや速めのインテンポによる演奏であるが、マーラーなどとは異なり、随所に見られる金管のアクセントの強烈さなど、若干の違和感を感じる箇所が散見されることは否めない。

他方、さすがと言えるような感動的な箇所も見られ、その意味で、功罪半ばする演奏ということが言えるかもしれない。

例えば、第3楽章を例にとると、ホルンによる第1主題を明瞭に演奏させているのは大正解であり、演奏によっては、ここを快速テンポで曖昧模糊に吹奏させている例もあり、それでは第3楽章の魅力が台無しになってしまう。

しかし、この第1主題の展開部に向けての盛り上がりがあまりにも大仰、特に、トランペットのアクセントがあまりにも強烈すぎて、朝比奈やヴァントの名演に接してきた者(もちろん、これらの演奏が絶対と言うつもりは毛頭ないが)からすると、どうしても違和感を感じてしまう。

トリオに入ると、テンポを少し落として抒情豊かな至芸を見せるが、ここは実に感動的で、クレンペラーの偉大さを感じる箇所だ。

このように、第3楽章1つをとってみても、評価がなかなか定めにくいのが正直なところである。

しかしながら、1960年代の初めという、ブルックナーがあまり一般に受容されていない時期に、これだけの水準の演奏を成し遂げたのは評価すべきであり、その意味において、本演奏を佳演と評価するには躊躇しない。

クレンペラーのブルックナーは、曲によって相性のいい曲とそうでない曲があるのではないだろうか。

剛毅で微動だにしないインテンポが、例えば、「第4」などの場合、強烈なアクセントなどもあって、若干の違和感を感じさせる演奏であったが、「第5」は、ブルックナーの交響曲の中でも最も男性的な、剛毅な性格の作品であるだけに、クレンペラーの演奏が悪かろうはずがない。

そればかりか、クレンペラーのブルックナーの交響曲の演奏中でも、この「第5」が随一の名演と評価すべきではないだろうか。

どの楽章も重量感溢れる、同曲に相応しい名演であるが、特に高く評価したいのは第3楽章と終楽章。

第3楽章は、まさに巨象の進軍であり、スケールも雄大で、この凄まじい迫力は、同曲に超名演を遺した朝比奈やヴァントと言えども一歩譲るだろう。

終楽章は、第3楽章をさらに上回る巨人の演奏であり、主部の踏みしめるような超スローテンポの演奏は、壮大なスケールであり、これだけのゆったりとしたテンポをとっても、全体的な造型にいささかの揺らぎもないのは、まさに巨匠クレンペラーの晩年の至芸の真骨頂と言えるだろう。

終結部の雄大さには、もはや評価する言葉が追いついてこない。

ブルックナーの「第6」は、壮麗にして剛毅な「第5」と、優美な「第7」に挟まれて、ずいぶんと目立たない存在である。

ブルックナーならではの美しい旋律と重厚さ、つまりは「第5」と「第7」を足して2で割ったような魅力に溢れた交響曲だけに、非常に惜しいことであると思う。

しかし、こうした「第6」の魅力は、ブルックナーを愛する巨匠には十分に伝わっており、ヨッフムや、最近ではヴァントや朝比奈などが、「第6」の素晴らしい名演を遺している。

クレンペラーもそうした「第6」を愛した巨匠の1人と言うことができるだろう。

レッグに、かつて録音を止められたことがあるという、いわくつきの曲でもあるが、それだけクレンペラーが、この「第6」に傾倒していたと言えるのではないだろうか。

演奏の性格は、他の交響曲へのアプローチとほとんど変わりがなく、剛毅にして重厚。

したがって、アクセントなどは相変わらずきついが、それでも、この「第6」の場合は、あまり気にならない。

同時期にヨッフムが「第6」の名演を遺しているが、ヨッフムのロマン派的な演奏とは全く対照的だ。

したがって、第2楽章など、もっと歌ってほしいと思う箇所も散見されるが、この曲の弱点とも言われる第3楽章や終楽章は、重量感溢れる演奏を展開しており、この両楽章については、ヨッフムと言えども太刀打ちできない雄大なスケールを誇っている。

ある意味では、ヴァントの演奏の先触れとも言える側面も有している。

いずれにせよ、本演奏は、クレンペラーの同曲への愛着に満ち溢れた壮麗な名演と評価したい。

剛毅で重厚なクレンペラーのアプローチと、ブルックナーの交響曲中で最も優美な「第7」の取り合わせは、どう見ても、なかなか噛み合わないのではないかと大いに危惧したが、聴き終えてそれは杞憂に終わった。

それどころか、途轍もない名演に仕上がっている。

第1楽章の冒頭からして、深沈たる深みのある演奏であり、随所で聴かれる美しい木管の響かせ方もクレンペラーならではのものだ。

第2楽章も崇高な演奏であり、決して低俗な抒情に流されることなく、格調の高さを失わない点はさすがと言うべきである。

第3楽章は、クレンペラーの剛毅で重厚な芸風に最も符号する楽章であり、テンポといい強弱の付け方といい、文句のつけようのない素晴らしさだ。

終楽章も、踏みしめるようなリズムなど重量感溢れる演奏であり、「第7」の欠点とも言われるスケールの小ささなど微塵も感じられない。

それにしても、クレンペラーが、このような優美な「第7」で名演を成し遂げるというのは実に不思議だ。

メンデルスゾーンの「スコットランド」や「真夏の夜の夢」などで名演を成し遂げたのと同様に、これは指揮界の七不思議と言ってもいいかもしれない。

「第8」は、実に惜しい。

第3楽章までは深みのある超弩級の名演なのに、終楽章に来て大きな問題点が発生する。

クレンペラーは、終楽章に大幅なカットを施しているのだ。

なぜ、このような恣意的な解釈を行うのであろうか。

おそらくは、長過ぎるとか冗長に過ぎると思ったのであろうが、仮にそのように思っていたとすれば、いささかきつい言い方かもしれないが、ブルックナーを指揮する資格はそもそもないとも言えるだろう。

ノヴァーク版が一般化しても、ブルックナーのスコアに記した音符をできるだけ忠実に再現したハース版を変わらずに信奉し続けたヴァントや朝比奈の演奏が高く評価される今日においては、きわめて奇異な解釈と言わざるを得ないだろう。

終楽章冒頭のテンポの入り方も深沈として実に味わい深いのに、大変惜しいことである。

これぞ諺に言う、「百日の説法屁一発」というものではないか。

第3楽章まで聴き終えて、超名演との評価は確実と思っていたのに、愕然とした次第である。

この終楽章のカットは、ブルックナーファンとしては、クレンペラーの偉大さを評価する者としても許しがたいという思いが強い。

クレンペラーのブルックナーでは、「第5」が最も優れた名演だと考えているが、それに次ぐのがこの「第9」だと思う。

というのも、クレンペラーの峻厳にして剛毅な芸風が、ブルックナーの「第5」や「第9」という硬派の交響曲の性格と合致するからだと考えられる。

この「第9」の録音はクレンペラーの死の3年前のものであるが、それだけに、ここにはクレンペラーが到達した至高・至純の境地が示されているとも言えるだろう。

第1楽章は、実に堂々たるインテンポであるが、剛毅にして重厚なアプローチが、これぞブルックナーという深みのある音楽を紐解いていき、時折見られる金管の強奏も、決して無機的には陥っていない。

第2楽章は、重量級の進軍を開始するが、特に、クレンペラーの特徴が表れているのは中間部のトリオの箇所。

ここの木管楽器の活かし方は実に美しく、これは、他の指揮者でもあまり聴かれないだけに貴重な解釈と言えるだろう。

終楽章は、第1楽章と同様のことが言えるが、展開部から、それまでのインテンポから一転して、ドラマティックな演出を試みている。

木管楽器の強調などやり過ぎの感は否めないが、それでも違和感を感じるほどではないのは、クレンペラーの同曲への深い愛着と理解の賜物と言うべきだろう。

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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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