2015年01月17日
カラヤン&ベルリン・フィルのR.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」、モーツァルト:管楽器のための協奏交響曲(1970年ライヴ)
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凄い演奏だ。
このようなお宝のような音源がこれまで眠っていたこと自体がおよそ信じ難い。
本盤には、モーツァルトの管楽器のための協奏交響曲とR.シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」の演奏が収められている。
両曲ともに、カラヤンは複数の演奏のレコーディングを遺しているが、筆者としては、本盤の演奏こそは、カラヤンによる両曲演奏の最高峰に掲げられるのではないかと考えるところだ。
モーツァルトの管楽器のための協奏曲の演奏は、流麗なレガートを施した優美さと躍動感が際立っている。
カラヤンは、後年の演奏になるほど、健康状態の悪化も相俟って、躍動感を失ったいささか重いとも感じられる演奏が多くなっていくのであるが、本演奏は60歳を少し過ぎたばかりの心身ともに充実していた時期のもの。
シンフォニックな重厚さの中にも、前述のような躍動感と流れるような美しさを秘めた全盛期のカラヤンならではの稀代の名演奏に仕上がっている。
ローター・コッホ、カール・ライスター、ゲルト・ザイフェルト、ギュンター・ピースクといった、ベルリン・フィルの楽団史上での最高峰に掲げられるべきスタープレーヤーが奏でる名演奏は、卓越したヴィルトゥオジティの発揮は当然のこととして、芸術性も豊かであり、カラヤンやベルリン・フィルともども実に楽しげに演奏している様子が伝わってくるのが素晴らしい。
R.シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」の演奏は、先ずは、「序奏」の輝かしいブラスセクションの咆哮に圧倒される。
「後の世の人びとについて」に入るとテンポを幾分落として、分厚くも艶やかな音色美を誇る弦楽合奏が伸びやかに曲想を歌い上げていく。
その美しさは、この世のものとは思えないような音の桃源郷の世界だ。
「大いなる憧れについて」や「歓喜と情熱について」におけるブラスセクションやティンパニの鋭い響きは悪魔的とも言うべき凄まじいまでの迫力を誇っている。
「科学について」の低弦の引きずるような響きも凄みがあり、対比する高弦の美しさは天国的とも言えるだろう。
「病から回復に向かう者」のトロンボーンやホルンの咆哮は凄まじく、頂点における迫力は壮絶の極み。
その後はトランペット、木管楽器、弦楽器などの絡み合いは唖然とするほど上手く、アンサンブルなどいささかも綻びを見せないのは殆ど驚異的だ。
「舞踏の歌」のシュヴァルベのヴァイオリン独奏の美しさはこの世のものとは思えないほどであり、木管楽器セクションの合いの手のあまりの上手さは協奏曲のようであり、殆ど反則技とも言いたくなるほどだ。
終結部の壮絶な阿鼻叫喚の世界は、カラヤン、ベルリン・フィルの大熱演。
それでいて、各楽器セクションが団子状態にならず、鮮明に分離して聴こえるなど整理し尽くされているのは、後述のような音質の良さのみならず、お互いの楽器セクションの音を聴きあうというカラヤン&ベルリン・フィルの卓越した演奏の賜物と言っても過言ではあるまい。
「さすらい人の夜の歌」が消え入るように終わった後、少し間をおいてから拍手が徐々に大きくなっていくのは、当日の聴衆の深い感動を伝えるものと言えるだろう。
両演奏を聴き終えて思ったのは、何と言う凄い指揮者、凄いオーケストラが存在したのだろうかということである。
全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルの実演がいかに人間業を超えた凄まじいものであったのかが理解できるところだ。
いずれにしても、本演奏は、カラヤンの演奏をスタジオ録音によるものでしか聴いたことがないというクラシック音楽ファンにこそ、是非とも聴いていただきたい名演の前に超をいくつ付けても足りない圧倒的な超絶的名演と高く評価したいと考える。
音質も各楽器セクションが分離して明瞭に聴こえるなど、1970年のライヴ録音としては極めて優れたものと評価したい。
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