2015年01月22日
ポリーニのショパン:バラード&スケルツォ
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聴き終えた後の爽快感はポリーニが一番と言えるものの、ポリーニのショパンは評価が難しい。
確かに、初期の録音のような機械じかけの演奏はそもそも論外であるが、それ以外のいかなるCDにおいても、その技量は完璧であり、楽曲の内面への掘り下げはイマイチなものの、随所に巧みな表情づけを行っていることもあって、聴き終えた直後は、爽快な気分になり、これは名演ではないのかと思ってしまうのだ。
ところが、残念なことであるが、一部のCDを除いては、すぐにどういう演奏であったのか忘れてしまうのが事実なのだ。
例えば、同じスケルツォの全集を録音したポゴレリチなどと比較するとよくわかる。
ポゴレリチ盤は、聴く際にも凄い集中力を要求されるだけに、聴き終えた直後は、もう一度聴きたいとは思わないし、一度聴いただけで満腹になってしまうのである。
しかしながら、しばらく時間が経つと、もう一度聴きたくなり、そして、その強烈な個性が頭にこびりついて離れない。
ところが、ポリーニのスケルツォは、聴き終えた後の疲れはないが、しばらく経つと、どういう演奏だったのかすぐに忘れてしまう。
それ故に、もう一度聴きたいとは思わないから、CD棚の埃の中に埋もれていく。
要するに、確かな個性がないということであり、ポリーニは、卓越した技量をベースにして、透明感溢れる切れ味鋭いタッチが持ち味であるが、どうしても技術偏重の蒸留水のような没個性的な演奏に陥ってしまいがちである。
さすがに、2000年代に入って、ショパンであれば夜想曲や、バッハの平均律クラヴィーア曲集など、深みのある名演も出てきたが、それ以前の演奏では、そうした欠点が諸に出てしまう演奏が散見された。
バラードも、1999年の録音ではあるが、やはり、そうした欠点が出てしまった演奏と言える。
ただ、ピアノ曲との相性が良いSHM−CD化によって、ピアノの音質に硬さがなくなったのはプラスに働いているが、それでも、演奏全体の欠陥を補うには至らなかったのは大変残念だ。
もちろん、悪い演奏ではない。
例えば、バラードという曲は、こういう曲ですというのを、初心者に聴かせるには最適のCDと言えるが、クラシック音楽を聴き込んでいる人が、繰り返して聴くに耐える演奏とは到底言い難い。
これらの楽曲を初めて聴くには最適のCDと言えるが、スケルツォやバラードの本質を味わおうとするのであれば、やはり、他の個性的な内容のある演奏を聴くべきである。
こうした演奏評価は、一流のピアニストにとってははなはだ不本意なことであるが、本盤は、今から10年以上も前の録音。
最近では、ポリーニも円熟の境地に達していて、例えば、ショパンで言うと、前奏曲集などの名演も成し遂げてきており、仮に、本盤の各楽曲を再録音すれば、次元の異なる名演を成し遂げることができるのではないか。
本盤の各楽曲は、いずれも有名曲だけに、大いに期待したい。
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