2015年01月23日
ポリーニのドビュッシー:12の練習曲/ベルク: ピアノ・ソナタ
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ポリーニ初のドビュッシーが「12の練習曲」とは彼らしく、その無窮動性や線的な構造を、彼の卓越した技巧が見事に捉え、独特の美感を持った演奏につなげているとは言えるものの、全体としてはきわめて出来の良くない凡演だ。
演奏の方向性としてはショパンのエチュードと同じで、正確に音を鳴らすことによって作品の本質を抉り出そうというものだ。
この打鍵の鋭さと運動性は凄まじいことこの上なく、聴きながら唖然としてしまうほど凄いので、無味乾燥な演奏だなと思いつつも、絶対に真似できないテクニックだなという結論に至ってしまう。
ただし、エチュードなのでこの方向性でもいいのかもしれないが、相手がドビュッシーなのでショパンよりマッチングが悪く、それなりに違和感があるのも事実で、硬質すぎるきらいがあるように思われる。
ドビュッシーのピアノ曲に聴き手が求めるものは、いろいろな見解もあろうかとも思うが、やはり印象派ならではの詩情が必要と言えるのではなかろうか。
ところが、ポリーニのピアノにはこの詩情が全く欠けており、これほどまでに冷徹になれるとは殆ど驚くほどだ。
確かに、技量においては卓越したものがあるが、練習曲とは言っても、そこはドビュッシーであり、弾きこなすためにはスパイスの効いた卓越した技量を必要とする。
しかしながら、スコアを完璧に弾くことに果たしてどれくらいの意味があるのだろうか。
ポリーニの透明感溢れる研ぎ澄まされたタッチを、ドビュッシーのピアノ曲が含有する前衛的な要素を際立たせるものという見方も一部にはあると思うが、筆者としては、これほど無機的な演奏は、最後まで聴くのが非常に辛いものがあったと言わざるを得ない。
これを聴いて喜ぶのは、ポリーニ好きのファンか、印象派に造詣のない批評家くらいのものだろう。
これに対して、ベルクのピアノ・ソナタは名演。
ベルクのピアノ・ソナタは本当に素晴らしい曲であり、様々な音楽性、シェーンベルクにはない孤独な叙情、色彩のパレットの豊かさがある。
ポリーニは、色気のないタッチや無神経を装った神経質なフレージングによってベルクの渇いた叙情を表出させるのに成功している。
ポリーニの感情移入をいささかも許さない、研ぎ澄まされた透明感溢れるタッチが、ドビュッシーでは詩情のなさが仇になったが、ベルクでは、作品の内包する前衛性を際立たせることに繋がったとも言えよう。
隙のない構築美と共に、燃えさかるような情熱のほとばしりが印象深く、ポリーニの卓越した技量も、ここではすべてプラスに働いている。
この演奏で新ウィーン楽派の主たるピアノ曲はポリーニの中で完了した感がある。
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