2015年03月18日
ポリーニのシューベルト:ピアノ・ソナタ第16番/シューマン:ピアノ・ソナタ第1番
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
これは素晴らしい名演だ。
1970年代前半までのポリーニは、圧倒的な技量を全面に打ち出しつつ、そこに、若さ故の生命力、気迫に満ち溢れた勢いがあり、聴き終えた後の充足感が尋常ではない。
1970年代後半になると、技量の巧さだけが際立った無機的な演奏が増えてくる傾向にあり、特に、同じシューベルトのピアノ・ソナタ第19番〜第21番を収めたCDなど、最悪の演奏と言えるだろう。
それに比べると、本盤のピアノ・ソナタ第16番は、段違いの出来と言える。
シューベルトのピアノ・ソナタ特有のウィーン風の抒情の歌い方や、人生の深淵を覗き込むようは深みには、いささか乏しい気もするが、それでも、この力強い打鍵の圧巻の迫力や表現力の幅の広さは、圧倒的なテクニックに裏打ちされて実に感動的だ。
シューマンのピアノ・ソナタも名演であり、ポリーニとシューマンの相性は非常に良いように思われる。
本盤のピアノ・ソナタ第1番も、そうした相性の良さがプラスに働いた素晴らしい名演と高く評価したい。
シューマンのピアノ曲は、一歩間違うと、やたら理屈っぽい教条主義的な演奏に陥る危険性があるが、若きポリーニにはそのような心配はご無用。
シューベルトと同様に、圧倒的な技量の下、透徹した表現で、感動的に全曲を弾き抜いている。
シューマンのピアノ曲の本質は、内面における豊かなファンタジーの飛翔ということになるが、ショパンやリストのような自由奔放とも言える作曲形態をとらず、ドイツ音楽としての一定の形式を重んじていることから、演奏によっては、ファンタジーが一向に飛翔せず、やたら理屈だけが先に立つ、重々しい演奏に陥ってしまう危険性がある。
ポリーニのピアニズムは、必ずしもシューマンの精神的な内面を覗き込んでいくような深みのあるものではないが、卓越した技量をベースとした透徹したタッチが、むしろ理屈っぽくなることを避け、シューマンのピアノ曲の魅力を何物にも邪魔されることなく、聴き手がそのままに味わうことができるのが素晴らしい。
いささか悪い表現を使えば、けがの功名と言った側面がないわけではないが、演奏は結果がすべてであり、聴き手が感動すれば、文句は言えないのである。
シューベルトの第16番もシューマンの第1番もいずれ劣らぬ名演であり、ピアニストの個性ではなく、楽曲の素晴らしさだけが聴き手にダイレクトに伝わってくるという意味では、両曲のベストを争う名演と言っても過言ではないと思われる。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。