2015年02月08日

ワルターのブラームス:交響曲第3番(ウィーン・フィル)、ハイドン:交響曲第86番(ロンドン響)、他


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ブラームスは、ウィーン時代のワルターを飾る絶品のひとつで、ワルターとウィーン・フィルがこれほどぴったりと意気投合し、細部まで心を通わせ合った例も少ないだろう。

なぜならば、ワルターにはかなりウィーン・フィルの楽員に任せたり妥協したりした演奏も数多く見られるからであり、ここでは両者の目指す美の方向が完全に一致しているようだ。

第1楽章の第1テーマを聴けば、彼らがリズムやアンサンブルなどには少しも神経を使わず、もっぱら音楽の心だけを表現していることがわかる。

ふつうはそれがプラスにもなる代わりにマイナスともなってしまうのだが、ここではプラスの面だけが濃く現われ、その結果として、内部には情熱の火が燃えさかっているにもかかわらず、外観は徹底して角が取れ、まろやかに円熟したのである。

1つ1つのメロディーが何と思い切って歌われることだろう。

第2、第3楽章にその最高の例が見られるが、しかもほんのわずかな外面性もないのは楽員1人1人が情緒を感じぬいているからだろうし、音色がすばらしく高貴なせいもあるのだろう。

両端楽章の、自由自在な緩急にも驚かされるが、情熱に任せてはめをはずすことなく、つねに自然なのは、偉とすべきだ。

終楽章第2テーマが現われた後の盛り上げにおいて、ぐんぐん加速するが、オーケストラが手足のごとくぴったりと密着していささかの崩れも見せず、完璧なアンサンブルを誇っているのはワルターにとっても珍しい。

たいていは棒が先に行ってしまうか、またはオーケストラがワルターの意図を見越してほんとうの情熱に燃えず、形だけをつくってしまうかのいずれかである。

第1楽章冒頭の柔らかい響き具合からもわかるように、全体に金管が少しも気張らず、ブラームスらしいしつこさから解放しているのも快いが、木管の恍惚たる和音といい、チェロや高弦の情緒に濡れた音色といい、耽美、陶酔という言葉が身をもって実感される瞬間である。

少しも聴かせようという構えがなく、自らの感じたままを正直に表現してゆくワルターとウィーン・フィルの名コンビに絶大な拍手を贈りたい。

豊かな音楽とはこのようなものをいうのであろう。

シュテファン・ツヴァイクが「ワルターの指揮で、その至福の瞬間には、彼自身が連れ去られてしまって、もうそこに居ないような感じ……」と書いているのは、ウィーン時代のワルターにこそ当てはまるだろう。

ハイドンは、ウィーン・フィルとの「軍隊」を想わせるモーツァルト風に優美でロマンティックな演奏である。

ただし、テンポはたいへん速く、その中でワルターは感じたことをすべて実現しているのだ。

ロンドン交響楽団の弦にウィーンのそれのような憧れを湛えた音色とレガートを求め、ダイナミズムの角を取って、情緒的な雰囲気を醸成している。

使用楽譜はもちろん旧版だが、これにはロマンティックな強弱の指示が細かく書き込まれており、ワルターは忠実に従っているため、エコー効果など常々の彼からは聴けないような神経質な感じがある。

しかもテンポの動きが驚くほど多く、かつ大きい(たとえば第1楽章第2主題)。

それを自然に成し遂げてしまうのが一口にいえぬ老熟の味であり、名人芸である。

全曲が現実を離れた歌となり、ワルターならでは成し得ぬ魅力の極を示したハイドンといえよう。

それにしても、このような歴史的な名演SPを、現代に生きる我々に十分に鑑賞に耐えうるように復刻してくれたのは実に素晴らしいことであり、オーパス蔵に感謝の言葉を捧げたい。

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classicalmusic at 22:52コメント(2)ワルター | ブラームス 

コメント一覧

1. Posted by 小島晶二   2023年02月21日 21:11
5 この典雅は響きは一体何処から湧き出て来るのだろう。孤軍奮闘だった故宇野功芳氏が愁眉を開いたブラームス3番は古きウィーンの情緒をたたえた秀演で,聴き進むと78回転のSP復刻というピッチは気にならなくなる。私のお気に入りの曲ハイドンの86番がカップリングされているのも嬉しい限り。こちらはロンドン響との演奏だが,機動力に長けた演奏でアンサンブルも絶妙です。ザンテルリンクやシューリヒトをも凌駕する名演と言えるでしょう。
2. Posted by 和田大貴   2023年02月22日 11:53
ブラームスの交響曲第3番は、ウィーン時代のワルターを飾る絶品の一つで、ワルターとウィーン・フィルがこれほどぴったりと意気投合し、細部まで心を通わせ合った例も少ないでしょう。なぜならば、ワルターにはかなりウィーン・フィルの楽員に任せたり妥協したりした演奏も数多く見られるからです。ここでは両者の目指す美の方向が完全に一致しているようです。少しも聴かせようとする構えがなく、自らの感じたままを正直に表現してゆくワルターとウィーン・フィルの名コンビに絶大な拍手を贈ります。豊かな音楽とはこのようなものをいうのでしょう。シュテファン・ツヴァイクが「ワルターの指揮で、その至福の瞬間には、彼自身波に連れ去られてしまって、もうそこに居ないような感じ……」と書いているのは、ウィーン時代のワルターにこそ当てはまるでしょう。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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