2015年02月11日
セル&クリーヴランド管のハイドン:初期ロンドン交響曲集
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ハンガリーに生まれ、中堅クラスだったクリーヴランド管弦楽団を世界的なオーケストラに育て上げた稀代の名指揮者ジョージ・セル。
そのアンサンブルはまさに「精緻」という言葉が相応しいものであるが、ここで聴くハイドンの交響曲は、そうしたセル&クリーヴランド管弦楽団の特質―引き締まったリズムとスリムな響き―にぴったりであり、今でもこれらの曲の決定的な演奏として聴き継がれるに相応しい内容となっている。
セルの完璧なまでのオーケストラ操舵―透明度の高い完全なアンサンブル、管弦の均衡ある展開、基本的に一定かつ軽快なスピード感―は、デジタル化の時代にあっても違和感なき心地よさで、古さを全く感じさせない。
セルがクリーヴランド管弦楽団を指揮した演奏の数々は、セルの楽器と称されるほどの精緻なアンサンブルを誇るものであったが、演奏によってはやや鋭角的な印象を与えるものもあった。
しかし、晩年には、そうしたいささか欠点といも言うべき角がとれ、精緻な中にも柔軟さを感じさせる名演が繰り広げられる傾向にあった。
EMIに録音したドヴォルザークの「第8」やシューベルトの「第9」などは、そうした傾向にある晩年のセルならではの味わいのある名演であったように思う。
本盤に収められたハイドンの初期ロンドン交響曲集も、セルの死の数年前の晩年の演奏ということもあり、前述した傾向が顕著なセル晩年ならではの至高の名演ということができよう。
セルのような指揮者でハイドンを聴くと、また一段と曲の素晴らしさを認識させられたところであり、久し振りに聴いて懐かしむどころか新しい発見と感動を与えられた。
とにかく、ハイドンは、同じ繰り返しが多い、退屈、単調、保守的、曲が中途半端などの見方があるが、演奏の仕方にも問題がある。
セルは、考え抜かいた演奏を行い、オケのコントロールも当然ながら抜群で、全く退屈しない演奏だ。
フリッツ・ライナー、ジョージ・セル、ユージン・オーマンディ、アンタル・ドラティ、ゲオルグ・ショルティ、クリストフ・フォン・ドホナーニ―彼らはいずれもハンガリーで生まれ(あるいは血縁があり)アメリカのメジャーオケで活躍した大家である。
このハンガリアン・ファミリーは、いずれもハイドンを得意とし名演を残している。
特に交響曲全曲録音を制覇したドラティの偉業が光るが、後期曲に関してセルの高純度の演奏はその双璧にある。
精密機械のように楽曲の輪郭をクリアにしつつ、そこで繰り広げられる超人的な精緻なアンサンブル。
それでいて、決して機械的にはならず、セルの人生を俯瞰させるような何とも言えないぬくもりのある味わいに満ち溢れている。
まさに、セル畢生の名演と評価すべき出来栄えであると言えるだろう。
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