2015年02月12日
ワルターのモーツァルト:交響曲第39番、第40番、R.シュトラウス:ドン・ファン
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ワルターがモーツァルトに傾倒するようになったのは40代も半ばを過ぎてからである。
彼は「第40番のシンフォニーを表現するのは、内容的にも技巧的にも難しい」と述べ「自分は50歳を過ぎて初めてこの曲を自信を持って指揮し得るようになった」と述懐しているが、当時の彼が録音した最初のモーツァルトの交響曲として、このレコードは貴重である。
ベルリン国立管弦楽団(シュターツカペレ)はベルリン国立歌劇場管弦楽団がコンサートをするときの別名であり、録音はその頃のSPとしてもとくに貧しいが、それにしてもまことに寂しい演奏である。
ニューヨーク盤の楽天性とも違うし、コロンビア盤の澄んだ静けさとも異なり、徹頭徹尾孤独なのだ。
第1楽章の冒頭、遅いテンポと粘ったリズム、そして音型をポツポツ切りながら現れる第1テーマにそれは明らかだが、その後のクレッシェンドにポルタメントとテヌートがかかって不健康な愁いとなるところはことに印象的である。
大きくテンポを落とす第2テーマは侘しさの極みだし、展開部の初めも同様、そして他の部分は極端にテンポを速め、主題との対照を際立たせるのである。
第2楽章はそれの延長で、テンポの速いメヌエットは小味で几帳面なリズムを見せるが、もちろん近代的な感覚とは縁遠く、トリオで遅くするやり方に寂しさは強まる。
それにもまして終楽章の異常な速さ、むしろ無意味な速さはいったいどうしたのだろう。
フルトヴェングラーのようなデモーニッシュな表現ではなく、情熱とも違い、リズムの上滑りが何かワルターの人間的な弱さを表しているようだ。
そして第2テーマで取ってつけたようにテンポを遅くするのも彼らしい。
全体としてこのレコードは後年のワルターが見せる円熟味に欠けているが、彼がこんなに孤独で不健康なことは他にはなかった。
それだけに第1回目の「ト短調」はワルター・ファンにとって特別な愛着を覚えずにはいられないのである。
第39番も名演奏である。
ウィーン・フィルを指揮したモーツァルトではかなりオケに任せるワルターだし、即興的な要素も加わるわけだが、ここでは少しも無雑作なところがなく、徹底的にオケをリードし、すみずみまで愛情と血を通わせている。
練習の時間もたっぷりあったのだろう、表現に確信を持ち、細部まで自分のものにし切った安心感があり、楽員もワルターの解釈にすっかり心服しているようだ。
それにSPとしては珍しく盤の切れ目で演奏を中断せず、録音が演奏を追いかけているので気分も一貫する。
ワルターの「変ホ長調」は昔も今も変わらない。
第1楽章の大きなテンポの動き、当時の彼としてはかなりスケールが大きいこと、力強く立派なメヌエットなど、22年後のニューヨーク・フィルとの名演を予告するものがある。
違うのはポルタメントのかかった弦の歌がいっそう情緒的なこと、いったいに休符が長く、特に第1楽章やメヌエットのトリオへ入る直前でのそれが目立つため、さらにロマンティックなこと、終楽章のテンポが大変速く、リズムも軽く、しかもアンサンブルがしっかりまとめられてすこぶる快い演奏を示していることなどである。
ニューヨーク盤は確かに偉大だが、モーツァルトのスタイルを踏み外しすぎた趣もあり、その意味ではBBCとの終楽章など、筆者はいまだに強い愛着を持っている。
状態の良いSP盤をそのまま復刻したオーパス蔵で聴く録音の美しさは格別だ。
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