2023年02月24日
熟成を経たワイン🍷甘みも苦みも香りも渾然一体🍯ベーム&ウィーン・フィル😧ベートーヴェン:交響曲第5番&第6番 | レオノーレ序曲第3番(1977年来日公演)🗼
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1977年3月2日 NHKホールに於けるベーム&ウィーン・フィルによるオール・ベートーヴェン・プログラムのコンサートの記録である。
「田園」が白眉だ。
当コンビは1971年にスタジオ録音しており、既に定評のあるものだったが、こちらでは、さらに音楽に余裕がある。
第1楽章が端正なのは前述の録音と変わらないが、第2楽章が驚くほど陶酔的になっている。
1971年録音が楷書なら、こちらはやや草書に傾いたという感じであり、弦楽器も木管楽器も心ゆくまで歌っていながら崩れず、弱音の陰った響きも実にいい。
第3楽章から第4楽章「嵐」への音楽の急変も、まったく乱暴ではないのに半端でない迫力があって、立派そのもの、雄大そのものだ。
全体が自然に流れつつ、怠惰でも無関心でもなく、姿勢がよく、幸福感があり、オーケストラはひとつの楽器のように鳴っている。
本当によいワインは若いときに飲むと、苦くて、硬くて、愛想が悪いが、適切な熟成を経ると、別物のように柔らかく、やさしく、陶酔的になる。
これはベームとウィーン・フィルの熟成のピークに位置する演奏だったのだろう、完全に熟成を経たワインのように甘みも苦みも香りも渾然一体となっているこんな演奏は、ベームとウィーン・フィルでもなかなかできなかった。
この演奏の魅力のひとつは、闊達に歌うヴァイオリン群にあり、著しく耽美的でありながら気品があって、まさにこれでこそウィーン・フィルという演奏をしている。
当時、ゲルハルト・ヘッツェルという名コンサートマスターがいたからだ。
初心者のために説明すると、コンサートマスターとは、客席から見て、指揮者のすぐ左、最前列に座っているヴァイオリニストで、オーケストラ演奏において非常に重要な役割をしている。
世界で一番うまいと言われるベルリン・フィルですらコンサートマスターが交代するとミスが増えたり、音楽全体の緊張感が落ちてしまったりするのだ。
指揮者との相性も重要で、彼は「ウィーン・フィルにヘッツェルあり」とまで言われた名コンサートマスターであり、ベームとの相性も抜群だった。
彼あってこそ、このあまりに豊穣なヴァイオリン群、否、オーケストラ全体の歌が成立したのである。
残念ながらヘッツェルは山岳事故で急死してしまい、それ以来、ウィーン・フィルは凋落やむなきに至ったのである。
ちなみに同じ時代、カラヤンのベルリン・フィルにはミシェル・シュヴァルベというやはり稀代のコンサートマスターがいて、東西両横綱という感じだった。
もし、この録音にひとつだけ文句を言うとしたら、演奏終了後の拍手があまりにも早すぎるということだ。
まだ最後の音が響いているのに、ひとりのお客が気が狂ったように下品な拍手を始めるので、せっかくの音楽の美しさが台無しだ。
幸いなことに、現在では、日本の聴衆もここまでせっかちでなくなり、演奏後の静寂を味わえる機会も増えた。
いずれにしても、ベーム&ウィーン・フィルによる至高の超名演を、良好な音質で味わうことができるのを喜びたい。
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コメント一覧
1. Posted by 小島晶二 2023年02月24日 08:08

2. Posted by 和田大貴 2023年02月24日 13:09
ベームはオーストリアの指揮者ですが、このベートーヴェンはウィーン風と形容するよりも、むしろドイツ的な表現です。重厚な響き、旋律の素朴で厳しい表現、中庸のテンポ、妥当な安定感、ディティールの克明化、アクセントの激しさなどがその理由です。したがって演奏はすべてが頑強そのもので、すこしの誇張もありません。ゆったりとしたテンポで、どこにも競ったり、意気込んだところがなく、悠悠自適、作品をじっくり見つめてその仕上げを楽しんでいるような演奏ぶりです。しかもすべての構成がすっきりとしているのは、ベームの解釈が主観に走らず、常に作品自体を見抜いて客観的な基準に立って行われているからです。これら穏やかでバランスの取れたアプローチがベートーヴェン演奏の理想だと言うつもりはありません。白眉は「田園」で、なんのケレン味もなく、そのまま曲とともに遊べる楽しいベートーヴェンです。特に弦のソフトな響きが、いかにもウィーンを感じさせる第2楽章、力をぬかずに充分に感謝を歌って大きく進む終楽章は実に美しいですね。