2015年02月12日
ベーム&ウィーン・フィルのJ.シュトラウス:ワルツ・ポルカ集
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晩年のベームが残した唯一にして極上のJ.シュトラウス2世のワルツ・ポルカ集。
オーストリアの“第2の国歌”とも称される「美しく青きドナウ」ほか、ウィーンの伝統と気品が漂うアルバムとなっている。
ウィンナ・ワルツというと、長い間ウィーン・フィル、とりわけニューイヤー・コンサートの専売特許となってきた。
確かに本場ではあろう。
だが、ボスコフスキー引退後、クオリティゆえにさすがと納得させてくれたのは、カラヤン、クライバー、アーノンクール、プレートルぐらいであったことも事実だ。
何よりも、中継の際に頻繁に挿入されるウィーンの観光映像には食傷してしまって、オーストリアという国の悲しさを感じてしまった。
大した産業もなく、昔日の栄光を切り売りするだけの国、世界各地に中継されるこの映像を通して観光宣伝に余念がないのだろう。
シュトラウスのワルツやポルカはそんな観光絵はがきの香りがするし、コンサート後すぐにCD化という売り方も含め、あまりに露骨に商業化しすぎた。
これでは真の愛好者にそっぽを向かれるのも当然である。
この演奏はベームの“老いのすさび”といった風情漂うものだ。
まるで19世紀後半の絢爛たるウィーンの宮廷舞踏会を頭に描きながら指揮しているかのようで、かつてのワルターと一脈通じるところがあり、ウィーン・フィルの特徴がプラスに作用している。
傑出しているのは「南国のバラ」で、ゆったりとしたテンポで優雅にまとめている。
固い音楽を作りがちなベームとの相性もあってか、「皇帝円舞曲」も絶品である。
この演奏からは、上品かつ流麗な馥郁たるウィーンの香りのようなもので満ちているのだ。
もともとウィーン・フィルは、崩れ出すと止めどもなく崩れる傾向があり、時に品位を失うほど(それはそれで魅力的であるが)厚化粧の音楽を奏でてしまう。
それゆえに、ベームのような厳しく禁欲的な指揮者が外側から枠をはめてやると、その範囲内で十全を尽くそうとするが、それがいいのである。
弦楽器群が、古い高級家具のように艶々としているのも美しい。
やはりこのような名演を聴いていると、最近のニューイヤー・コンサートは、伝統にあぐらをかいた弛緩しているような演奏に聴こえてしまうのだ。
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