2015年02月22日

ハイティンクのショスタコーヴィチ:交響曲全集


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今は大指揮者との評価の高いハイティンクだが、かつて凡庸、平凡の代名詞のように言われていた時期があった。

そんなイメージを引きずってか、ハイティンクのショスタコーヴィチには迫力や厳しさが足りない、という先入観を持っている方は少なくないように思う。

たしかに、スヴェトラーノフばりの耳をつんざく金管の叫びとも、ムラヴィンスキーのような極限の美とも無縁だが、ただ上品なだけの大人しい演奏かというと、それも間違いである。

ことに「第4」「第8」といった阿鼻叫喚の作品で見せる鬼神の如き迫力は、一般にイメージされる温厚で良識のある(悪く言えば、凡庸な)ハイティンク像とは違うものだろう。

両演奏ともに、しっとりと美しい弦と懐の深いサウンドがあってはじめて、「ここぞ」という場面での気迫が生きてくるのである。

つまり、単純な叫びに終わらない含蓄があるのだ。

「第5」も、これほど静かで、心に染み入るアプローチは稀だが、それが却って、この作品の純粋器楽の美しさを浮かび上がらせている。

大声で叫ばなくても、否、敢えて叫ばないからこそ、聴き手の心にズシリと響く。

怒涛のフィナーレにおいても、自らは夢中にならずにオーケストラを燃え上がらせる大家の指揮ぶりだ。

静かなアプローチといえば「第6」第1楽章での、ひたひたと押し寄せる悲しみと嘆きに真の慟哭が認められるし、純粋器楽の美しさといえば「第9」の愉悦感も極上だ。

さて、この全集の白眉は、ヴァラディ(S)、フィッシャー=ディースカウ(Br)を独唱に迎えた「第14」であろう。

この「第14」の持つ独特の構成(2名の独唱者による11の連作歌曲風)は、まさにショスタコーヴィチの愛したマーラー「大地の歌」を彷彿とさせるだけでなく、音楽的な内容の深さにも十分に対峙できるものである。

この曲が一般的に知られていないのは、原曲のテキストがロシア語、または諸外国の詩のロシア語訳のため演奏頻度が少ないせいもあるのだろう。

この演奏では、ロルカ(スペイン)、アポリネール(フランス)、キュヘルベルケ(ロシア)、リルケ(ドイツ)によるテキストが、大胆にもそれぞれの原語で歌われているが、それが斬新であるとともに、きわめて強い説得力を持っている。

ヴァラディもフィッシャー=ディースカウも、まったく綺麗事でない、まるでベルク「ヴォツェック」の登場人物のような鬼気迫る歌唱を見せ、聴き手の魂を凍りつかせる。

ハイティンク指揮のコンセルトヘボウ管も超絶的な技巧で、この室内楽的なスコアの、精緻を極めた再現に成功している。

これは、もっともっと多くの方の耳に届けたい畢生の名演である。

ところで、ハイティンクの上質なアプローチのすべてが功を奏しているというわけではない。

「第7」など、恰幅の良い演奏だが、これは、ハイティンクの上質さが裏目に出ている例だろう。

弦主体のバランス感覚は良いとしても木管の色彩感が淡すぎて、この作品の持つヴァイタリティを表しきれないのである。

「第1」については、あまりにも落ち着き払った演奏により、才気煥発な学生ショスタコーヴィチというよりは、円熟した大人の音楽に聴こえてしまうのが、贅沢な難点と言えるだろう。

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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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