2015年02月16日

小澤&シカゴ響のバルトーク:管弦楽のための協奏曲&コダーイ:ガランタ舞曲


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本盤は、小澤征爾のEMIレーベルへのデビュー録音となったもので、録音当時34歳、「若武者」として勢い充分にオーケストラをドライヴする小澤の指揮姿を彷彿とさせる演奏であり、さらにスコアが透けて見えるような緻密さも併せ持っている。

バルトークの「管弦楽のための協奏曲」は、作曲家晩年の皮肉や苦みがふんだんに盛り込まれた作品であるが、小澤は実はそのような面にはあまり反応していない。

筆者は基本的には、内在する皮肉や苦みが演奏に際してきちんと表現されるのが一番よいとは思う。

しかし、世の中には皮肉や苦みがわからない人間もいるし、そういう人たちは、演奏家として、音楽家として否定されねばならないのか? 音楽を聴いてはならないのか? そうではあるまい。

作品を発表するというのは、作品を無理解な人間に対しても開放するということでもあり、別の人格に委ねるということだ(極論を言えば、作品を放棄すること、それどころか破棄することだ)。

作品とは演奏家にとってみれば、いかに親しげに感じられようとも、所詮他人の音楽である。

ゆえに、それぞれの人間が己の理解力の中で最大限の可能性を求める、それが大事なのだ。

だから筆者としては、小澤がベストを尽くしたこの録音を高く評価したい。

小澤が振る「管弦楽のための協奏曲」は、彼の尊敬するカラヤン同様、スムーズで、格好よくて、楽天的で、とても綺麗な音響で、その冷たい美しさはモダンインテリアのようで、録音後40年以上を経た現在でも一級品であり、まったく古びていないように思える。

だが、まさにこのような演奏に対して、アーノンクールやラトルが異議を唱えているのだということ、その点において、この演奏は過去になりつつあるということはわかっていてよい。

小澤には小澤のやり方があり、彼は今でもそのやり方をサイトウ・キネン・オーケストラとともに続けているが、その一徹さは彼には不可避であり、またそれでよいのである。

誰しも、歴史の中で自分に振り当てられた役割を果たすほか、別の選択はないのだから。

正直な気持ちを記すなら、筆者はとびきりの名人オーケストラが間然するところのない技量を見せつけるこの演奏を、不毛に贅沢な退屈であると感じることを告白しておく。

しかし、シカゴ交響楽団がいくら名人揃いだからといって、常にこのような演奏をするわけではないこと、まさに小澤の力でこのような演奏が実現されたことについては、髪の毛一筋ほども疑わない。

なかんずくフィナーレでは若かった小澤がいささかの破綻も恐れず躍動しているのが聴こえ、胸のすくような瞬間がある。

最後の金管楽器の決めは、まるで雄々しい若者の雄叫びのようであり、パリやアメリカの聴衆が、このエキゾチックな青年が作り出すストレートで屈託のない音楽に魅了されたのが理解できるのである。

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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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