2015年02月26日

ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルのブルックナー:交響曲第9番[SACD]


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ムラヴィンスキーは、ブルックナーの後期3大交響曲のCDを遺しているが、この3大交響曲の中で、その眼光紙背に徹した峻厳な芸風から、もっとも、ムラヴィンスキーに向いているのは「第9」と言えるのではなかろうか。

どの作品に於いても客観性が重視されるムラヴィンスキーの演奏だが、オルガン的発想から育まれたブルックナーの作品にさしものムラヴィンスキーも悪戦苦闘(版の問題、手法は違えど、朝比奈やヴァントもそうだったのだから当然かもしれない)ぶりも否めないが故に、彼の十八番と言える名盤に見られない彼の個性が随所に見られた本作品。

ムラヴィンスキー晩年の悠揚迫らぬブルックナーであるが、とにかく最初から最後まで峻烈で厳しい演奏と言えるところであり、分厚い弦楽器のトレモロの上に堂々と響きわたる金管群の咆哮が凄まじい。

謹厳な顔からは想像もつかない天真爛漫なスケルツォや終楽章の深い沈潜には、巨匠が到達した孤高の境地がうかがえるようだ。

もちろん、朝比奈やヴァント、そしてかつてのシューリヒトなどの名演に接した者にしてみれば、本盤の演奏は、やや特異な印象を受けるというのが正直なところだ。

第1楽章の終結部のあまり品のいいとは言えないトランペットのヴィブラートや、終楽章の金管楽器による叩きつけるような最強奏などにはどうしても違和感を感じるし、特に後者については無機的にさえ聴こえるほどだ。

木管楽器、特にクラリネットやオーボエの抑揚のない直線的な奏し方も、いかにもロシア的な奏法なのであろうが、ブルックナーの演奏としてはいかがなものであろうか。

終楽章のホルンの柔らかいヴィブラートも、いささか場違いな印象を与える。

しかしながら、こうしたブルックナーの交響曲の演奏スタイルからすると、決してプラスにはならない演奏を行っているレニングラード・フィルを、ムラヴィンスキーは見事に統率し、総体としてムラヴィンスキーならではの個性的な名演を仕上げた点を高く評価したい。

相当な練習を繰り返したことも十分に想像できるところであり、後日談によれば、練習には通常よりも多く時間が取られたらしいが、本人にしてみれば「まだまだ満足出来ない、時間も足りない。」と思われただろう。

自己満足に陥らない作曲者及び作品への畏敬の念がそう物語っている。

前述のように、いわゆる正統派のブルックナー演奏ではなく、あくまでも、ムラヴィンスキーの個の世界にあるブルックナー演奏と言えると思われるが、それでもこれだけ、ムラヴィンスキーの厳格なスコアリーディングに基づく個性的な解釈と、オーケストラに対する卓越した統率力を堪能させてくれれば文句は言えまい。

ムラヴィンスキーという大指揮者の底知れぬ恐ろしさと難しさ、そして深さを感じずにはいられない。

さらにシングルレイヤーによるSACD化により、見違えるような音質に仕上がり、その音質の素晴らしさゆえにムラヴィンスキーのヴァイオリン両翼配置の美しさと強力な金管、浮きあがる木管など実に美しくしかも克明に再現されるのは、素晴らしいの一言である。

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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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