2016年01月15日

ムラヴィンスキー・イン・モスクワ 1965&1972


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ムラヴィンスキーは、カラヤンとほぼ同時代に活躍していた大指揮者であったが、旧ソヴィエト連邦下で活動していたことやムラヴィンスキーが録音に慎重に臨んだこともあって、その実力の割には遺された録音の点数があまりにも少ない。

そして、その音質についても、DGにスタジオ録音を行ったチャイコフスキーの後期3大交響曲集(1960年)やアルトゥスレーベルから発売された1973年の初来日時のベートーヴェンの交響曲第4番及びショスタコーヴィチの交響曲第5番等の一部のライヴ録音(いずれも既にSACD化)などを除いては極めて劣悪な音質で、この大指揮者の桁外れの実力を知る上ではあまりにも心もとない状況にある。

数年前にスクリベンダム・レーベルから1965年及び1972年のムラヴィンスキーによるモスクワでのライヴ録音がリマスタリングの上発売されており、音質も既発CDと比較すると格段に向上していたが、このうち、1965年のライヴ録音を収めた盤が既に入手難となっていたところだ。

そのような中で、今般、1965年及び1972年のモスクワでのライヴ録音を纏めた上で、大幅に価格を下げて発売されることになったのは、この大指揮者の指揮芸術の真価をより多くのクラシック音楽ファンが深く味わうことが可能になったという意味で、極めて意義が大きいことであると言わざるを得ないところだ。

1960年代から1970年代にかけては、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの全盛時代であり、この黄金コンビのベストフォームの演奏を良好な音質で味わうことができるのが何と言っても本BOXの素晴らしさと言えるだろう。

まず、1965年のライヴ録音であるが、先ず、冒頭のグリンカの「ルスランとリュドミュラ」序曲からして、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な迫力を誇っている。

ムラヴィンスキーは、手兵レニングラード・フィルを徹底して厳しく鍛え抜いており、その演奏はまさに旧ソヴィエト連邦軍による示威進軍を思わせるような鉄の規律を思わせるような凄まじいものであったところだ。

そのアンサンブルは完全無欠の鉄壁さを誇っており、前述の1960年のチャイコフスキーの交響曲第4番の終楽章の弦楽合奏の揃い方なども驚異的なものであった。

本演奏においても同様であり、まさに超絶的な豪演を展開している。

本演奏を聴いて、他の有名オーケストラの団員が衝撃を受けたというのもよく理解できるところであり、他のどの演奏よりも快速のテンポをとっているにもかかわらず、弦楽合奏のアンサンブルが一音たりとも乱れず、完璧に揃っているのは圧巻の至芸というほかはあるまい。

ショスタコーヴィチの交響曲第6番は、1972年のモスクワライヴの方をより上位に掲げる聴き手もいるとは思うが、本演奏における徹底して凝縮化された演奏の密度の濃さには尋常ならざるものがある。

厳格なスコアリーディングに基づき、同曲に込められた深遠な内容の核心に鋭く切り込んでいくことによって、一聴するとドライな印象を受ける演奏ではあるが、各旋律の端々からは豊かな情感が滲み出しているとともに、どこをとっても格調の高さを失わないのがムラヴィンスキーによる本演奏の凄みと言えるだろう。

ワーグナーの2曲も至高の超名演であるが、特に、楽劇「ローエングリン」第3幕への前奏曲の猛スピードによる豪演は、「ルスランとリュドミュラ」序曲に匹敵する圧巻のド迫力だ。

モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲も爽快な名演であるが、交響曲第39番は更に素晴らしい超名演。

同曲はモーツァルトの3大交響曲の中でも「白鳥の歌」などと称されているが、ムラヴィンスキーの演奏ほど「白鳥の歌」であることを感じさせてくれる透徹した清澄な美しさに満ち溢れた演奏はないのではないか。

やや速めのテンポで素っ気なささえ感じさせる演奏ではあるが、各旋律の随所に込められた独特の繊細なニュアンスと豊かな情感には抗し難い魅力がある。

シベリウスの交響曲第7番は、ブラスセクションのロシア風の強靭な響きにいささか違和感を感じずにはいられないところであり、いわゆる北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄な演奏ではないが、同曲が絶対音楽としての交響曲であることを認知させてくれるという意味においては、比類のない名演と評価したい。

シベリウスの交響詩「トゥオネラの白鳥」やヒンデミットの交響曲「世界の調和」、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ミューズの神を率いるアポロ」、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」なども、引き締まった堅固な造型の中に豊かな情感が込められた味わい深い名演であるが、さらに凄いのはバルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」とオネゲルの交響曲第3番「典礼風」だ。

これらの演奏においても例によって、若干速めのテンポによる凝縮化された響きが支配しているが、それぞれの楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥深さには凄みさえ感じられるところであり、聴き手の心胆を寒からしめるのに十分な超絶的な超名演に仕上がっていると言えるところだ。

次いで、1972年のライヴ録音。

ベートーヴェンの交響曲第4番は、前述の来日時の名演の1年前のものであるが、本演奏も同格の名演と評価したい。

速めのテンポで疾風のように駆け抜けていくような演奏で、一聴すると素っ気なささえ感じさせるが、各旋律に込められた独特の繊細なニュアンスや豊かな情感には抗し難い魅力があると言えるところであり、同曲演奏史上でもトップの座を争う至高の名演に仕上がっている。

ベートーヴェンの交響曲第5番も凄い演奏だ。

やや速めのテンポによる徹底して凝縮化された演奏と言えるが、それでいて第2楽章などの緩徐箇所においては各旋律を情感豊かに歌い上げており、いい意味での剛柔バランスのとれた至高の名演であると評価したい。

ワーグナーの管弦楽曲については複数のCDにまたがって収められているが、いずれもこの指揮者ならではの彫りの深い素晴らしい名演に仕上がっている。

ブラームスの交響曲第3番は、ベートーヴェンの交響曲第5番と同様のスタイルによる引き締まった名演と言えるが、第2楽章や第3楽章のやや速めのテンポによる各旋律の端々から滲み出してくる枯淡の境地さえ感じさせるような渋味のある情感には抗し難い魅力に満ち溢れており、人生の諦観さえ感じさせるほどの高みに達していると言えるところだ。

ショスタコーヴィチの交響曲第6番は、前述の1965年の演奏も名演ではあるが、本演奏の方がより円熟味が増した印象を受けるところであり、筆者としては本演奏の方をより上位に置きたい。

いずれにしても、厳格なスコアリーディングに基づき、同曲に込められた深遠な内容の核心に鋭く切り込んでいくが、それでいて豊かな情感と格調の高さを失わないのがムラヴィンスキーによる演奏の凄みと言えるだろう。

チャイコフスキーの交響的幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」は、この指揮者ならではの深遠な内容と凄まじいまでの迫力を兼ね備えた凄みのある名演だ。

チャイコフスキーの交響曲第5番はこの指揮者の十八番と言える楽曲であり、遺された演奏・録音も数多く存在しているが、筆者としては、前述の1960年のDGへのスタジオ録音や、1977年の来日時のライヴ録音(アルトゥス)、1982年のライヴ録音(ロシアンディスク)がムラヴィンスキーによる同曲の名演の3強と考えているところだ。

もっとも、本演奏も終楽章の終結部に向けて畳み掛けていくような気迫や力感など、3強にも比肩し得るだけの内容も有しているところであり、本演奏をムラヴィンスキーならではの超名演との評価をするのにいささかも躊躇をするものではない。

いずれにしても、本BOXは大指揮者ムラヴィンスキーの偉大な芸術を良好な音質で、なおかつ低廉な価格で味わうことができるという意味において、是非とも購入をお薦めしたい素晴らしい名盤であると高く評価したい。

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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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