2015年03月10日
アシュケナージ&N響のチャイコフスキー:交響曲第5番[SACD]
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アシュケナージによるNHK交響楽団とのチャイコフスキー交響曲全集の完結篇で、最後を飾るに相応しい秀演であると思う。
アシュケナージについては、一般大衆はともかくとして、いわゆるクラシック音楽の通を自認する者の評判が芳しくないのは事実である。
語り口が甘すぎるとか、表情付けだけは巧みであるとか、芸術家としての厳しさに欠けるなど。。。
確かに、そのような批判にも一理あるとは思うが、だからと言って、アシュケナージの指揮(あるいは演奏)する楽曲のすべてが凡演ということにはならないのではなかろうか。
例えば、ラフマニノフの名演奏。
交響曲などを指揮しても、ピアノ協奏曲を演奏しても、いずれも、トップの座を争うほどの名演を成し遂げているではないか。
少なくとも、ラフマニノフを指揮(演奏)する限りにおいては、アシュケナージはまぎれもない巨匠と言うことができると考えている。
次いで、筆者は、チャイコフスキーを採りたいと思う。
ピアノ協奏曲第1番の演奏では、既に名演を遺しているが、交響曲も、ムラがあるものの、曲によってはなかなかの演奏を行ってきていると言える。
本盤の「第5」も、もちろん、ムラヴィンスキーやカラヤンなどの高みには達してはいないものの、なかなかの佳演と言ってもいいのではなかろうか。
アシュケナージはNHK交響楽団の精緻なアンサンブル力を存分に生かして、自然な流れの中でチャイコフスキーの力強い響き、叙情的な歌を描き出している。
取り立てて指摘すべき強烈な個性があるわけではないが、オーケストラを巧くドライブして、チャイコフスキーの音楽の素晴らしさを余すことなく表現した嫌みのない演奏であり、よき中庸を得た佳演と言ったところではなかろうかと思う。
演奏のスタイルは、この曲にありがちな劇場型、熱血型ではなく、シンフォニックで端正な佇まいを示したものだ。
第1楽章の盛り上がる部分も、コントロールが利いていて、過度に色を示していない。
逆に言うと、踏み込みが浅いと感じられる面もあるだろうが、終結部のシンフォニックなバランス感覚はレベルが高い。
第2楽章、第3楽章ともメランコリーにのめり込むことのない運びである。
もっとも美しいのは終楽章で、やや速めのインテンポで弦の小刻みなニュアンスを消さない配慮がシックな色合いを呈する。
このようなアプローチの結果、楽曲のイメージはやや悲しみの領域にシフトしていると考えられる。
NHK交響楽団の熱演ぶりも素晴らしく、アシュケナージの同曲に対する確信と、そこに導かれるオーケストラの絶妙な機能美を聴き取ることのできる演奏である。
また、エクストンによるSACDマルチチャンネル録音であるという点も、本盤の価値を高めることに貢献している。
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