2015年03月11日
ショルティ&ウィーン・フィルのワーグナー:楽劇「ニーベルングの指環」〜オーケストラル・ハイライツ
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ショルティは、近年のワーグナー指揮者の中では、カラヤンとともに頭抜けた存在であり、他に比肩するもののない業績の豊かさを思わせている。
そこにある完璧とも言える音楽分析と深い理念に裏付けられたワーグナー観は、ショルティが常に最も信頼し得るワーグナー指揮者のひとりであったことを疑わせる余地はない。
特に、1950年代後半から60年代前半に録音した「ニーベルングの指環」の全曲盤は、燦然と輝く歴史的名盤であり、同曲のベスト盤として、圧倒的な評価を受けているが、ショルティの若い時代の悪癖である、やや力づくの演奏も見られるなど、問題点がないわけではなかった。
そんなショルティが、同じオケと同じ録音場所で、1982年、彼が70歳時に、「ニーベルングの指環」4部作のオーケストラ・パートの名曲の抜粋盤として再録音したのが、このCDである。
本盤は、あれから20年後の録音ということもあり、角がすっかりとれた円熟の名演に仕上がっている。
テンポ設定も実に落ち着いたものとなっており、ゆったりとした気持ちで、ワーグナーの音楽の素晴らしさを満喫することができる。
冒頭の「ヴァルキューレの騎行」は、「ジークフリートの葬送行進曲」とともに、所謂ワーグナー管弦楽曲集での定番曲となっているが、最もショルティ向きの曲と言ってもよく、そのドラマティックで切れ味鋭い演奏は圧巻であり、これは、同曲のベストの演奏と言っても過言ではないだろう。
「ジークフリートの葬送行進曲」と「フィナーレ」については、ショルティの前記全曲盤での「神々のたそがれ」の演奏と比較して聴いてみたのだが、まず、「ジークフリートの葬送行進曲」のテンポが、極端に遅くなっているのに驚かされる。
テンポの遅さは、そのまま曲の掘り下げの深さに繋がっており、力で押し切る傾向のあった若き日の演奏と比べると、弱音部での木目細やかな表現力が際立っており、ショルティの変化、円熟を強く感じる。
「フィナーレ」は、ワーグナー管弦楽曲集では滅多に演奏されない曲だと思うが、「ニーベルングの指環」全曲の最後を飾るにふさわしい感動的な名曲であり、ショルティは、円熟の名人芸で、壮大なクライマックスから、美しくも物哀しい弱音部の旋律までを見事に描き分け、最後は、厳かに、全曲を締め括ってみせる。
ここでの曲目は、ショルティにとっては、それらがコンサート・レパートリーであると同時に、完全に手中にしているオペラ・レパートリーの一部であるということが、その演奏の内容をいっそう確かなものとしている。
もちろん、ウィーン・フィルの自発性も充分生かされているが、高い造形性と深い音楽表現に裏付けられた好演と言える。
ショルティはウィーン・フィルとはあまり相性が良くないと言われているが、この演奏に関しては「ニーベルングの指環」の抜粋盤ではあるが、全曲を長いと敬遠している人にとっても全曲を聴いてみたくなるような、力強さと美しさが堪能できるものとなっている。
音質も英デッカによるナチュラルな極上の名録音である。
ただ不満を1つ述べるとすれば、もう少し楽曲の収録を増やしてもらいたかったという点。
例えば、「神々のたそがれ」については、「夜明けとジークフリートのラインの旅」をなぜ録音しなかったのだろうか。
収録時間にも余裕があるだけに、やや物足りない気がするのは筆者だけであろうか。
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