2015年03月12日
スヴェトラーノフ&ミュンヘン・フィルのワーグナー:管弦楽曲集
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旧ソ連の巨匠指揮者エフゲニ・スヴェトラーノフが、1988年というチェリビダッケが鍛えに鍛えた全盛時代のミュンヘン・フィルに客演したワーグナー・アーベント(恐らくこれが唯一の共演)・ライヴ。
スヴェトラーノフとチェリビダッケ支配下のミュンヘン・フィル、そしてワーグナー、いずれの組み合わせも、固定観念では発想しがたく、実現した経緯も半分イベント的な意図だったかもしれない。
しかし、その結果、高い次元でスタンダードさと開放的な力強さのバランスが取れた名演が生まれた。
最もドイツ的なオーケストラによる力の漲った鳴りっぷりのいいワーグナーの名演、と言ってもいいかもしれない。
シルキーで透明な弦楽合奏の美音、マッシヴな金管の咆哮、アンサンブルの精緻は滅多に耳にすることのできない逸品であり、しっとりとした落ち着きと極大な包容力を誇る魅力たっぷりの名演集である。
チェリビダッケ全盛期のオーケストラから、スヴェトラーノフらしい重厚かつ情感あふれる個性的なトーンを引き出し、それが、ワーグナーの音楽に見事にマッチしているのはさすがという他はない。
それは、逆にこのコンビだったからこそ誕生し得たものであり、いつもとは異なり、自国の音楽をストレスフリーで楽しんでいる楽員の活き活きとした表情が見えるかのようなワーグナーなのである。
正直な話、同じオーケストラをチェリビダッケが指揮したワーグナー集のCDをはるかに上回る。
特に「マイスタージンガー」第3幕前奏曲と「ローエングリン」第1幕前奏曲は絶品。
最初の「マイスタージンガー」第1幕前奏曲はやや雑然としているが、2曲目の第3幕前奏曲以後は、この指揮者とオーケストラが意外なほどに調和しているさまが見て取れる。
これは、すでに老いを自覚し、雑念や欲から逃れようとする主人公がもの思いに耽る場面で奏される音楽である。
オペラ全体の中でもっとも深みのある音楽のひとつとされているけれど、ここでのスヴェトラーノフのように感情豊かに奏でた例は空前絶後ではないか。
おそらく劇場では難しいであろうほどのゆっくりしたテンポで、ひとりの男の胸に去来するもの、すなわち自分は去らねばならないと知った人間の悲しみをじっくりと描き出す。
豊満な音色の弦楽器は時にすすり泣くようにも聴こえるし、2分過ぎからなど、まさしく溜め息そのものような音楽だ。
ヴァイオリンやフルートのあまりにも澄んだ響きは、さすがにチェリビダッケとともに繰り返しブルックナーを演奏し続けてきた楽団ならではの美しさである。
続く「ローエングリン」第1幕前奏曲も息をのむような美しさで、陶酔的だ。
単に音響的に美しいというだけではない。
醜悪なこの世界を逃れて、美しい世界に憧れる強い気持がどうしようもなく切々と示されているのである。
筆者はこの「ローエングリン」第1幕前奏曲ほど、現実の世界に絶望し、別世界を夢想してそれに殉じようとするロマン主義芸術家たちの悲惨と栄光と誇りを表現したものはないと思っているが、スヴェトラーノフが奏でたのはまさしくそのような音楽だ。
ついに感極まったように金管楽器群が圧倒的な音響の大伽藍を築きあげるとき、そこに鳴っているのはまさにひとつの精神である。
先の曲と同じくこの曲でも、時間が完全に止まっているのではないかという不思議な印象を受ける。
まさに心にしみいるような音楽だ。
ただ美しいだけ、迫力があるだけでなく、深い音楽を聴きたいのであれば、昨今これに優るものはないかもしれない。
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