2015年03月12日

ケーゲル&ライプツィヒ放送響のベートーヴェン:交響曲第8番、交響曲第3番「英雄」


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交響曲第8番は、1974年5月14日、交響曲第3番「英雄」は1975年9月2日のライヴ・ステレオ録音。

ケーゲルはドレスデン・フィルとベートーヴェン:交響曲全集を完成しているが、こちらのライヴはケーゲルらしい厳正なリズム運びと躍動感が同居する名演として名高い。

今回の「第8」は、たたみかけるようなリズム満載で、第1楽章の第1主題部分が特に凄い。

初めは大人しく聴こえるが徐々に調子を上げて展開部に至るころにはトスカニーニもびっくりの激しさを持つに至っている。

機械的とすら言ってもいい激しさで、ここまで切れ味鋭いテンポで、なおかつ粗雑にならずにこの部分を演奏した例はおそらく皆無であろう。

筆者はこの演奏を聴いてこの曲が「第7」以上の激しさを持った楽曲であるという認識を持つに至った。

しかしその激しさは第2楽章以降では鳴りを潜め、第3楽章のテンポ・ディ・メヌエットでは緩やかでありながら言い切りの良いテンポで、音楽が緊張感を失わずに前進していく。

細部がよく聴こえる録音と相俟ってケーゲルがこの部分で表現したかったであろうベートーヴェンらしいユーモアや、爽やかな感覚といったものがひしひしと伝わってくる。

筆者はこの部分を聴きながら、春の日差しの中、ゆっくり散歩しながら印象深い思い出(あるいは歴史)を回想しているといったようなイメージが浮かんできてしまった。

そういう意味ではやはりベートーヴェンはいくら激しさを持ち合わせているといっても「田園」を書いた作曲家、自然に範を求めることが多かったのだ。

ある意味ケーゲルらしくないことだが、聴いていてとても心が落ち着いてくる。

そしてなんといってもこの演奏の白眉、クライマックスである第4楽章を聴いて度肝を抜かれた。

第1楽章での激しさが戻ってきて圧倒的な迫力でもって聴き手に迫ってきて素晴らしく、まさしくケーゲルの本気を聴ける。

確かにライプツィヒ放送交響楽団の的確なティンパニ、弦楽器の充実は今に始まったことではないが、ケーゲルの指揮はそれを見事に調和させ、各声部に最大限の仕事をさせている点で素晴らしいのだ。

テンポ設定ひとつとっても筆者にはこれ以上正確な演奏は思いつかない。

こう書くとクールな演奏のようだが、ケーゲルが、作曲者がこの曲で言いたかったと考える要素は余すところなく伝わってくる。

この楽章だけはそれで十分なのだ。

それでも聴く者は否が応でも高揚感を掻き立てられ、生で聴いたら間違いなく曲が終わっても感動でしばらく席から立ち上がれなかっただろう。

音質もライヴとはとても思えないぐらい鮮明で、この演奏の持つ壮大なスケール、感情表現の振り幅の大きさが堪能できる。

「エロイカ」は、直球勝負の大変な推進力のある演奏であるが、繊細なニュアンスにも富んでいる。

古典的スタイルを限界まで堀り下げたような解釈の深さを感じさせ、繰り返し聴いても飽きさせることがなく、同曲に新しい発見をいくつももたらす内容の深さがある。

第2楽章などは、テンポをかなり落して葬送行進曲を、というよりは、聴き手を深いクライマックスへ誘導してゆく。

特に新鮮だったのは、終楽章であり、展開がドラマティックで、この演奏で初めて終楽章の存在意義を感じさせられた。

ライヴであるとはいえ、セッション録音かと錯覚させるほどの構築性を感じさせられる。

朝比奈隆&ベルリン・ドイツ交響楽団の淡々としながら熱気を帯びている「エロイカ」とはまた趣きの全く異なるケーゲルのまことに懐の深い「エロイカ」である。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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