2015年03月16日

ケーゲルのベートーヴェン:ミサ・ソレムニス


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1987年12月30、31日 ベルリン・コンツェルトハウス(シャウシュピールハウス)に於けるステレオ・ライヴ録音。

この1987年12月は、レーガン、ゴルバチョフによるINF(中距離核戦力)全廃条約締結があり、世界は冷戦の終結に向けて歴史的な前進を遂げた年であるが、古巣のライプツィヒ放送響に戻ってきたケーゲルは一時の強烈なアプローチを排し、かなり遅めのテンポを採用し、慈愛に満ちた優しい微笑みをもってこの大曲の真髄に迫っている。

「ミサ・ソレムニス」は、数多い楽聖の傑作群のなかでも一頭地を抜く存在であって、「第9」を凌ぐ作品とも評されている。

とは言え、毎年2度や3度は通しで聴いている「第9」に較べれば、ライヴやCD等での視聴の機会も圧倒的に少ないというのが実際のところであって、それは多くの人に当てはまるのではないか。

筆者は、コンサートで聴いたことは1度もないが、それなりの点数のディスクを聴いてみたところ、どれも満足出来るものは殆どなく、やはりクレンペラー盤に戻って来てしまうのであるが、その中で、このケーゲル盤は本当に珍しく素晴らしいと思える演奏であった。

ケーゲルのアプローチは、飾ったところのない素朴な「祈り」の気持ちが根本にあり、これがこの曲の本質とよく調和していると思う。

難解極まる曲であるが、晦渋さがほとんどない鷹揚な演奏であり、なおかつ冒頭曲の『キリエ』からベートーヴェン独特の肯定的な明るさが現われている。

響きが硬くならず、伸びやかであり、開放的な風通しのよさが普段のケーゲルとは異なる。

これほど聴いていて心がほぐされ、癒されるような「ミサ・ソレムニス」は実に珍しく、「晦渋生硬」という作品に対する通念を破る開放的な演奏と言えるだろう。

極度の集中力や悲劇性を持つ音楽をたびたび奏でたケーゲルが、こんな穏和な演奏をしたこともあったのだ。

しかし、何度も聴いてゆくうちに、最初に聴いたときの印象と大分変わってきたところである。

鑑賞が数回目となってくると、晩年の凄みのある厳しいアプローチのケーゲルが顔を覗かせるのである。

歌手陣がのびのびと、しかも真摯に取り組んでいるのが凄みを伴って迫ってきて、この曲を全ての演奏者が心を込めて取り組んでいるのがヒシヒシと伝わってくるのである。

それにしても合唱には酷な作品であり、職人技よりは芸術家の理想を追究したベートーヴェンの面目躍如、素人合唱団には手に負えない作品であろう。

ケーゲルは合唱指揮者からキャリアをスタートしただけに、合唱の扱いに長けた指揮者であることが明らかであり、合唱の取扱いも厳格なだけに留まらず、分厚いハーモニーを紡ぎだすことに成功している。

『グローリア』冒頭からの合唱、特にテノールと金管の絡みの素晴らしさは、楽天的ではない、ほんとうに肯定的な力強さが全開しており、筆者はこの『グローリア』に一番感銘を受けた。

聴いていて難しい曲とは感じさせないし、その精妙なつくりにも感嘆させられるが、それはおそらく、演奏の巧みさゆえだろう。

この曲を好きな者にとっては、聴けば聴くほど深みを増してくる名演である。

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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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