2015年03月21日
ムーティ&ウィーン・フィルのモーツァルト:交響曲第36番「リンツ」、第40番
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ムーティ&ウィーン・フィルの黄金コンビによるモーツァルトの交響曲集は、実に優美にして重厚な名演である。
あのカラヤンの名演を思わせるような、豪華絢爛な演奏で、古楽器演奏や奏法が幅をきかせる今日においては稀少となった、重量感溢れる弦楽器主体の旧スタイルによる名演だ。
ムーティは、モーツァルトの交響曲を古典派の規模の小さい交響曲という従来の枠組みに固執するのではなく、その後に作曲されたベートーヴェンやロマン派に作曲された交響曲に通ずる規模の大きな大交響曲として演奏している。
モーツァルトの交響曲の演奏については、最近では古楽器奏法や古楽器による演奏が主流になりつつあるが、本盤のような大オーケストラによる壮麗な演奏を聴くとほっとする思いだ。
ムーティは、ここでは、緩急自在のテンポを駆使した、生命力溢れる闊達にして多彩な表現を行っており、ウィーン・フィルの美演と相俟って、珠玉の名演を成し遂げている。
ムーティの指揮ぶりは、熱い魂の迸りを感じさせ、溢れるヴァイタリティでモーツァルトの憂愁を力強く歌っているが、ムーティがウィーン・フィルを指揮する時は、フィラデルフィア管弦楽団などを指揮する場合と異なり、決して自我を押し通すことをせず、オーケストラに演奏の自由を与えている。
そのようなムーティの自然体のアプローチが、本盤では功を奏し、高貴にして優美なモーツァルトを大いに堪能することができる。
ウィーン・フィルの演奏もいつもながら実に美しく、モーツァルトの音楽の魅力を大いに満喫することができる点を高く評価したい。
ムーティは、第36番にしても第40番にしても、繰り返しを全て行っており、本来ならば、いささか冗長になる危険もあるが、ムーティ&ウィーン・フィルの繰り広げる名演により、そうした冗長さを感じることはいささかもなかった。
むしろ、作曲者が指定した繰り返しをすべて行うことにより、ムーティは、モーツァルトの交響曲を等身大に描いたということなのだろう。
その結果、いずれも約40分という、ブラームスの交響曲などにも匹敵するような長さになっているが、モーツァルトの交響曲は実はスケール雄大な大交響曲であったとの認識を改めさせてくれたムーティの功績は極めて大きいと言うべきではなかろうか。
また、ウィーン・フィルならではの音色の美しさを決して損なうことなく見事に描出しているが、これはムーティの巧みな統率力とともに、ウィーン・フィルとの抜群の相性の良さの賜物であると考える。
ウィーン・フィルの演奏の高貴な優美さも、いつもながら見事であり、そうしたウィーン・フィルの感興豊かな美演をムーティが決して邪魔をしていないことが、本盤を名演たらしめているとも思われる。
ムーティの指揮スタイルは、主旋律を存分な歌謡性で満たし、かつリズミックで暖かいサウンドで包むようなもので、そのスタイル自体、私たちが「ウィンナ・ワルツ」に代表される「ウィーン風」イメージに通じるものだ。
また、数々のオペラをレパートリーに収めていることも重要だろう。
もちろん、音楽性やレパートリーの共通というだけでなく、「愛される」ためには、ムーティの人間性そのものが大きく貢献しているに違いない。
これを聴くと、なんとも自然で、気の赴くまま、モーツァルトのスコアに多くを委ねて、天高く音楽を歌った明朗な古典性に貫かれている。
もちろん、そこにある程度の「計算」が働いているのではあろうが、それにしても、そういった音楽を奏でる側の主観を感じる部分が少ないといった意味で、清々しいほどの純朴さを感じさせる。
そして、これもよく言われることだが、そのことが、モーツァルトの「無垢」と形容される特性に一致し、本来あるべき姿の音楽が自然に提示されているような安心感がある。
それにしても、ウィーン・フィルの音色は最高の美しさであり、ムーティは、緩急自在のテンポの下、隋所に現れる繊細な抒情にもいささかの不足もなく、まさに硬軟併せ持つ名演だと思う。
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コメント一覧
1. Posted by 履歴書の封筒 2014年08月24日 09:33
とても魅力的な記事でした。
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2. Posted by 和田 2014年08月24日 15:46
ありがとうございます。
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