2023年03月03日
テンポに一貫した緊迫感🧐生命力の横溢した表現🩸創意豊かな気迫に満ちた🪖フルトヴェングラー&ベルリン・フィル🫶ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」(1942年ライヴ)
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フルトヴェングラー56歳の時のライヴ録音だけに、若々しく、アゴーギクの様相にはこの指揮者ならではのものがある。
テンポに一貫した緊迫感があり、素晴らしく生命力の横溢した表現で、創意豊かな気迫に満ちた「第9」だ。
ベルリン盤と有名なバイロイト盤との間には10年近い歳月が流れ、ドイツの壊滅と裁判による演奏停止期さえ含まれているが、スタイルにはほとんど変化がなく、細部の表現に至るまで、驚くほど似ている。
たとえばベルリン盤の第1楽章と第3楽章の遅いテンポ、雄大なスケールは、すでに1951年盤のそれと同一であって、これはフルトヴェングラーとしても異例のことである。
「第9」に関する限り、フルトヴェングラーは1940年代の初めから、彼の最後期のスタイルを獲得していたのであった。
とはいえ、ベルリン盤とバイロイト盤を比べると、スタイルは同じでも内容の深さはかなり違う。
バイロイト盤の、あたかも永遠を想わせるような、無限の彼方にまで拡がってゆく精神の深みは、ベルリン盤にはまだ見られない。
その代わり、ベルリン盤の良さは直接的な迫力、若々しい生命力とダイナミズムにあるだろう。
ことにティンパニストが決めどころに見せる死んだ気の最強打は、時に聴く者の肺腑を抉る(第1楽章の再現部冒頭が最も良い例と言えよう)。
フルトヴェングラーの解釈で気になるのは、終楽章で歓喜の主題が低弦から静かに湧き上がる直前の2つの和音をスタッカートにしている点で、これはバイロイト盤のように楽譜通り四分音符を充分にのばしたほうが良い。
またテノール独唱に伴う行進曲が始まる前の“vor Gott”のフェルマータはバイロイト盤より長いが、聴いた感じはもう一つ効果的でない。
バイロイト盤ではフェルマータを切る前にクレッシェンドを掛けるのだが、これが効いているのである。
テノール独唱に男声合唱が加わる途中から凄まじいアッチェレランドを掛けるやり方はバイロイト盤には見られぬもので、何度聴いても興奮させられるが、その結果、次のオーケストラだけのフガートが速くなりすぎてしまうのは、実演ならではのミスであろう。
また第3楽章のコーダに近い金管の警告の直前で、第2ホルンが上行音型を1拍早く吹いてしまうのは、フルトヴェングラーもさぞかしびっくりしたに違いない。
次にバイロイト盤を上回る個所を挙げておこう。
第1楽章の再現部以降の味の濃さと迫力、第4楽章の終結の2ヵ所で、このあたりはやはり寄せ集めのバイロイトのオケと、手兵のベルリン・フィルとの差が出ている。
後者など、あの速いテンポにオーケストラが一糸乱れずついてゆき、最後の5つの音符をティンパニストが見事に決めるのである。
もう1つ、同じ楽章のアンダンテ・マエストーソの部分で、男声のユニゾンが歌う“ein lieder Vater wohnen”のディミヌエンドと音色の懐かしさは、バイロイト盤やストックホルム盤ではこれほど巧くいっていない。
この部分、ほどんどの指揮者はフォルティッシモの指定のままどならせてしまうが、それではこの言葉の意味は生かされない。
筆者の知る限り、メンゲルベルクとフルトヴェングラーだけが、父なる主のいます星の彼方に想いを寄せているのである。
この1942年盤は、メロディア盤や仏ターラ盤、最近ではグランドスラムによる復刻盤などでも聴けるが、本アルトゥス盤とそれらとは音の明快さが雲泥の相違で、バイロイト盤と並んでどうしても持っていたいCDとなった。
なお、この演奏は3月22日のベルリン・フィル定期ではなく、4月19日に行われたヒトラー誕生日祝賀コンサートのライヴではないかという意見もあることを付記しておく。
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コメント一覧
1. Posted by 小島晶二 2023年03月04日 08:30

2. Posted by 和田大貴 2023年03月04日 08:40
フルトヴェングラーの「第9」というとまずバイロイト盤を思い起こしますが、私はベルリン・フィルとの演奏が好きです。今までも何度かLPやCDになりましたが、音質が悪く、演奏に霞がかかったような印象であったため、正直言うと実はあまり好きではありませんでした。以前ご紹介したメロディア盤は、ソ連軍が戦利品として持ち帰ったテープから直接音を起こしているため、考えられないくらい良好な音質です。演奏はフルトヴェングラー56歳の時のものだけに、若々しく、アゴーギクの様相にはこの指揮者ならではのものがあります。テンポに一貫した緊迫感があり、素晴らしく生命力の横溢した表現で、創意豊かな気迫に満ちた「第9」です。これほど指揮者も演奏者も感情が高揚していながら、音楽的に逸脱したところがないというのは驚異的なことです。大戦下という異常な状況のなかで、明日はもう演奏できないかもしれない、聴けないかもしれないという一種の極限状態を作り出し、一期一会の名演を生み出したのでしょう。