2015年03月19日
内田光子&テイトのモーツァルト:ピアノ協奏曲全集
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内田光子は近年クリーヴランド管弦楽団を弾き振りして、モーツァルトのピアノ協奏曲の再録音を進めているところであり、きわめて高い評価を得ているが、内田のモーツァルト弾きとしての名声を決定づけたのが、30年ほど前にジェフリー・テイト&イギリス室内管弦楽団と共演した、この全集であった。
イギリスを中心に活動していた内田が、長年弾きこんできたレパートリーだけあって、まさに自信に満ちた演奏だ。
いずれも自然体で、音楽的で、上質で、熟し切った音楽性満点のモーツァルトで、内田のタッチのまろやかな響きが、細かい表情と結びついて音色が変化すると同時に、解釈に明快な意志を反映させ、演奏の細部にこだわる危険から救っている。
その根底にあるのは内田の豊かな自発性であり、繊細な感情の展開でも演奏は決して弱々しくならない。
「クレンペラーの再来」とまで言われていたテイトが、伴奏指揮をおこなっているのも聴きもので、充実した気力に基づきながら、細かい神経が行き届いており、イギリス室内管弦楽団もそれに敏感に反応している。
内田は、シンフォニックで格調の高いテイトの伴奏に乗って、造型的な美しさを存分に引き出し、一本強い芯の通った、感動的な音楽をつくりあげている。
内田のタッチは透徹したもので、きらきらときらめき、モーツァルトの気品高い音楽をリアルに再現している。
そして内田のモーツァルトは享楽的な要素が一切なく、きわめて集中度の高い求心的なものである。
真摯な作品への取り組みが表立ち、遊びの精神などかけらもないが、それだけにモーツァルトの天才性が、リアルに浮かび上がってくる。
やや聴き手に集中を要求するというしんどい面も確かにあるが、これだけ内面に踏み込んだ解釈はちょっとない。
その意味で特に第24番が素晴らしい名演で、内田の真摯なアプローチが奏功した、典型的な例と言えよう。
ほの暗い情熱を秘めたモーツァルトの怨念が、そびらに迫ってくるような迫力は格別である。
そして第2楽章と両端楽章のコントラストも鮮やかで、その均衡は実に天才的というほかはない。
第25番も内田らしい緊密な構成と、流麗な歌の精神が生かされた好例で、古典的な格調の高い演奏が味わえる。
第27番も推薦に値する。
磨き抜かれた美しいタッチ、それにどこまでも透明な濁りのない音色、これらはモーツァルトの晩年のピアノ曲には、不可欠の要素であるからだ。
内田の演奏はきわめて真摯なもので、贅沢を言えばもう少し遊び心が欲しいとも思うが、これだけ見事に演奏されていれば、文句のつけようもあるまい。
だが第26番「戴冠式」にはより華やかさと天国的な愉悦感があればと、ないものねだりもしたくもなる。
テイト指揮イギリス室内管弦楽団も素晴らしいバックをつけており、特に第23番はオーケストラとピアノの密着度が高く、交響的とも言える充実した響きを実現させて見事である。
テイトはモーツァルトの音楽の生き生きしたエネルギーを充分にとらえているが、常に自然な流れの中に導入しているため、エネルギーに押し流されることがない。
内田は表情を抑えても、その下に流れる感情の動きは常に自由であるために演奏が平板にならない。
つまり抑えようとしても抑えきれない自発性が、彼女の演奏に生命を与えているのであり、したがってどんなフレーズにも常に細かい表情があり、それにふさわしい音色を生み出しているのである。
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