2022年05月21日
フルトヴェングラーの十八番ばかり!ルツェルン音楽祭での演奏のライヴ録音(1953年8月26日)
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1953年8月26日のルツェルン音楽祭での演奏の貴重なライヴ録音である。
これは、ラジオ放送を録音したもの(いわゆるエアチェック)なので音の状態は十分ではないものの、演奏は素晴らしい。
シューマンのマンフレッド序曲、交響曲第4番、ベートーヴェンの交響曲第3番「エロイカ」というファンならずともよだれが出そうなプログラムになっている。
フルトヴェングラーの指揮する「エロイカ」は、極めて高い見識を持った優れた解釈を下地にしており、残されたすべての演奏が格別の名演である。
ここでの演奏は、時期的に近接している1952年11月30日のウィーン・フィルとの演奏とごく近いものだ。
物腰の柔らかいウィーン・フィルと違い、ルツェルン祝祭管弦楽団(スイス・ロマンド管弦楽団の団員などから構成されているという)の素直な反応がフルトヴェングラーにウィーンでの演奏よりも少しばかり動的かつ情熱的な演奏を促したのも知れない。
第1楽章は物凄い気迫で開始され、最初の和音だけとれば、これが今までのベストと言えよう。
そして続く主題の足どりはゆったりとして実に良い雰囲気であり、堂々としてスケール雄大、ひびきが満ちあふれる。
オーケストラが指揮者に慣れていない感じで、それがフレッシュな感動を生み出す原因の1つになっているのだろう。
指揮者の棒は1952年のスタジオ録音以上に力みがないが、音の背後の凄絶さはまさに最高、常に立派な充実感に満たされている。
テンポの動きは再現部の前と直後に1度ずつあるだけで、後は安定しきっており、最晩年の確立した大演奏と言えよう。
第2楽章は心はこもっているが流れを失わず、旋律はソロといい合奏といい、肉のり厚く歌われ、中間部から再現部のフガート、その後の阿鼻叫喚に至るまで、他のどの盤に比べても仕掛けはないが、それでいて物足りなくないのは偉とすべきであろう。
この楽章は、深く悲しみに沈み込むような1952年12月8日のベルリン・フィルとの演奏より2分も短い。
お互い相手を知りぬいた組み合わせとは異なった、一期一会の感興がこの演奏の大きな魅力となっている。
スケルツォからフィナーレにかけても同じスタイルだが、後者に入ると音質がだんだん濁ってくるのが残念だ。
しかし、少しも速くならないフーガといい、ポコ・アンダンテといい、コーダといい、音の後ろに凄いものが隠されており、充分満足させてくれるのが素晴らしい。
シューマンの「第4」も完璧無類のグラモフォン盤の後に聴いても引けを取らない名演だ。
録音は濁り気味だが、なんといってもライヴの音がするし、音に命がこもっているのである。
晩年のフルトヴェングラーだけに実演だからといって踏み外すことなく、ベルリン盤の良さをそのまま保ちつつ、やはり気迫が違うのだ。
第1楽章の出もそうだし、フィナーレ冒頭の弦の刻みの生きていること、主部の第1主題の語りかけなど、ベルリン盤を上まわり、録音が同レヴェルなら、筆者はこのルツェルン盤の方を採りたいくらいである。
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