2015年04月13日
インバル&フランクフルト放送響のマーラー:交響曲第8番「千人の交響曲」
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インバルがかつての手兵であるフランクフルト放送交響楽団とともにスタジオ録音を行ったマーラーの交響曲全集(1985年〜1988年)は、インバル&フランクフルト放送交響楽団の実力を世に知らしめるとともに、インバルの名声を確固たるものとした不朽の名全集である。
それどころか、録音から30年以上が経過した今日においても、あまたのマーラーの交響曲全集の中でも上位を占める素晴らしい名全集と高く評価したい。
インバルのマーラーに対する評価については百家争鳴の感があるが、こんなに深くスコアを読み、練習を重ね、見事な演奏をしたマーラーは少ない。
それは、指揮者が小粒になった今日において、それだけインバルの存在感が増した証左であるとも考えられる。
インバルのマーラーは、近年の東京都響やチェコ・フィルとの一連のライヴ録音では随分と変容しつつあるが、全集を構成する本盤に収められた交響曲第8番の演奏においては一聴すると冷静で自己抑制的なアプローチであるとも言える。
したがって、演奏全体の装いは、バーンスタインやテンシュテットなどによる劇場型の演奏とは対極にあるものと言えるだろう。
しかしながら、インバルは、とりわけ近年の実演においても聴くことが可能であるが、元来は灼熱のように燃え上がるような情熱を抱いた熱い演奏を繰り広げる指揮者なのである。
ただ、本演奏のようなスタジオ録音を行うに際しては、極力自我を抑制し、可能な限り整然とした完全無欠の演奏を成し遂げるべく全力を傾注している。
マーラーがスコアに記した様々な指示を可能な限り音化し、作品本来の複雑な情感や構造を明瞭に、そして整然と表現した完全無欠の演奏、これが本演奏におけるインバルの基本的なアプローチと言えるであろう。
しかしながら、かかる完全無欠な演奏を目指す過程において、どうしても抑制し切れない自我や熱き情熱の迸りが随所から滲み出している。
それが各演奏が四角四面に陥ったり、血も涙もない演奏に陥ったりすることを回避し、完全無欠な演奏でありつつも、豊かな情感や味わい深さをいささかも失っていないと言えるところであり、これを持って本盤におけるインバルによる演奏を感動的なものにしていると言えるところだ。
前述のように、インバルによる本演奏に対する見方は様々であると思われるが、筆者としてはそのように考えているところであり、インバルの基本的なアプローチが完全無欠の演奏を目指したものであるが故に、現時点においてもなお、本盤に収められた交響曲第8番の演奏が普遍的な価値を失わないのではないかと考えている。
このようなアプローチが、曲によってはやや物足りない印象を与えることがあるが、今回HQCD化された「第8」については、曲の性格にもよるのだろうが、インバルのアプローチとの抜群の相性の良さを感じる。
インバルは、厳格なスコアリーディングによる相当に緻密で彫琢の限りを尽くした演奏を繰り広げており、インバルの圧倒的な統率力の下、独唱陣や合唱団も実にうまい。
これらのスケール雄大で圧倒的な名演を、ワンポイント録音が完璧に捉え切っている様は、驚異と言うほかはない。
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