2015年03月03日
カラヤン&ベルリン・フィルのアイネ・クライネ・ナハトムジーク、ディヴェルティメント第17番
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本作は、名指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンが、ベルリン・フィルの弦楽器の豊麗な響きの魅力をシンフォニックに発揮させ、大芸術に昇華させた優雅で流麗な曲想によって広く愛好されている、有名なメヌエットを含むディヴェルティメント第17番(1987年)と弦楽四重奏曲のような簡潔なまとまりをみせる、清冽な活気と優美な楽想を湛えた珠玉の名作《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》(1981年)を収録したアルバム。
カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代は一般的に1960年代及び1970年代と言われている。
この当時の弦楽合奏は鉄壁のアンサンブルと独特の厚みがあり、いわゆるカラヤンサウンドの基盤を形成するものであったと言える。
しかしながら、蜜月状態にあったカラヤン&ベルリン・フィルも、ザビーネ・マイヤー事件の勃発によって大きな亀裂が入り、その後は修復不可能にまで両者の関係が拗れてしまったところである。
本盤に収められた演奏は、《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》が全盛時代末期のもの、ディヴェルティメント第17番が両者の関係が最悪の時期のものと言えるが、演奏を聴く限りにおいては、両演奏ともにそのような事件の影響を何ら感じさせないような、いわゆるカラヤンサウンド満載の演奏と言える。
一糸乱れぬアンサンブルを駆使した重量感溢れる分厚い弦楽合奏は圧巻の迫力を誇っていると言えるところであり、カラヤンは、このような重厚な弦楽合奏に流れるようなレガートを施すことによって、曲想を徹底して美しく磨き抜いている。
これによって、おそらくは両曲演奏史上最も重厚にして美しい演奏に仕上がっていると言えるだろう。
1980年代になって、オケの統率力に衰えが出たとか、ベルリン・フィルの入団人事の争いがあったなど、翳りも出始めたカラヤンの芸術だが、何事もないかのように美しいビロードの弦が微笑むかのように心地よい響きを聴かせている。
昨今の古楽的な解釈の視点からだととんでもない解釈だろうが、ここまで聴かせ上手ならば許せてしまう魔力を持っている。
古楽器奏法やピリオド楽器の使用が主流となりつつある今日においては、このようなカラヤンによる重厚な演奏を時代遅れとして批判することは容易である。
しかしながら、ネット配信の隆盛によって新譜CDが激減し、クラシック音楽界に不況の嵐が吹き荒れている今日においては、カラヤンのような世紀の大巨匠が、特にディヴェルティメントのようなモーツァルトとしては一流の芸術作品とは必ずしも言い難い軽快な曲を、ベルリン・フィルの重量感溢れる弦楽合奏を使って大真面目に演奏をしていたという、クラシック音楽界のいわゆる古き良き時代(それを批判する意見があるのも十分に承知しているが)が少々懐かしく思われるのもまた事実であり、このような演奏を聴くとあたかも故郷に帰省した時のようにほっとした気持ちになるというのも事実なのだ。
このように賛否両論はある演奏であると言えるが、筆者としては、両曲を安定した気持ちで味わうことができるという意味において、素晴らしい名演と高く評価したい。
ことにディヴェルティメント第17番は晩年のカラヤンの愛奏曲であったが、彼にとってこの作曲家の本質的なものが含まれていると感じていたのであろう。
誰にでも書けそうで絶対に書けない音楽、華やかな衣擦れを思わせる音の色に喜びを感じつつも、ふと訪れる静寂にわが身を振り返る。
そうした人間の心の機微を、さらりと私たちに表現してくれており、最高の贅沢品とは、こういったもののことをいうのだろうと改めて感じたところであり、カラヤンが同郷のザルツブルクの大作曲家に対する深い敬愛の念が滲み出たアルバムと言えるだろう。
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