2015年04月02日
アバド&ベルリン・フィルのブラームス:交響曲全集、他
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本盤には、アバド&ベルリン・フィルによるブラームスの交響曲全集等が収められているが、全曲ともに若干甘い気はするものの名演と評価したい。
アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督就任間もない頃に、本盤に収められたブラームスの交響曲全集を完成させた。
ちなみにアバドは、4つのオーケストラを振り分けた旧全集(1970〜72年)でも明るくのびやかな響きによって、溌剌と新鮮な表現を聴かせてくれたが、本全集の演奏には、いっそう美しい余裕と確かな構成感がある。
細部の琢磨にも一段と精緻であると同時に、きわめてバランスの良い表現は、常に豊かな歌を湛えており、しかものびやかに洗練され格調が高い。
もっとも、カラヤン時代の猛者がいまだ数多く在籍していたベルリン・フィルを掌握し得た時期の録音ではないことから、第1番などは名演の名には恥じない演奏であるとは言えるが、アバドの個性が必ずしも発揮された演奏とは言い難いものであった。
他方、楽曲の性格とのマッチングや録音時期(芸術監督就任前の1988年)の問題もあって、第2番はアバドならではの豊かな歌謡性が発揮された素晴らしい名演であった。
このようにベルリン・フィルの掌握の有無なども演奏の出来に作用する重要な要素であるとは思うが、根本的には、アバドの芸風に符号する楽曲かどうかというのが演奏の出来不出来の大きな分かれ目になっていると言えるのではないだろうか。
アバドのアプローチは、前任者のカラヤンのような独特の重厚なサウンドを有していたわけでもない。
むしろ、各楽器間のバランスを重視するとともに、イタリア人ならではの豊かな歌謡性を全面に打ち出した明朗な演奏を繰り広げている。
このようなアプローチの場合、第1番ではいささか物足りない演奏(もっとも、第1番はカラヤン時代の重厚な音色の残滓が付加されたことによって、怪我の功名的な名演に仕上がった)になる危険性があり、他方、第2番については、楽曲の明朗で抒情的な性格から名演を成し遂げることが可能であったと考えられる。
一方、第3番及び第4番も、楽曲の心眼に踏み込んでいくような彫りの深さ(とりわけ第3番の両端楽章や第4番の終楽章)といった面においてはいささか生ぬるい気がしないでもないが、とりわけ第3番の第2楽章及び第3楽章や第4番の第1楽章及び第2楽章などの情感豊かな歌い方には抗し難い魅力があり、第2番ほどではないものの、比較的アバドの芸風に符号した作品と言えるのではないだろうか。
また、第3番については、第2番と同様にアバドが芸術監督に就任する前の録音でもあり、ウィーン・フィルに軸足を移したカラヤンへの対抗意識もあって、ポストカラヤンの候補者と目される指揮者とは渾身の名演を繰り広げていたベルリン・フィルの途轍もない名演奏が、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。
もっとも、大病を克服した後のアバドは、凄みのある名演を成し遂げる大指揮者に変貌していると言えるところであり、仮に現時点で、ブラームスの交響曲全集を録音すれば、より優れた名演を成し遂げる可能性が高いのではないかと考えられるところだ。
いずれにしても、アバドはベルリン・フィルの芸術監督就任直後にブラームスの交響曲全集を完成させるのではなく、芸術監督退任直前に録音を行うべきであったと言えるのではないか。
録音は従来盤でも十分に満足できる高音質である。
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