2015年04月13日
バルビローリ&ハレ管のシベリウス:交響曲選集、他
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バルビローリは、遺された録音に鑑みても極めて広範なレパートリーを誇った指揮者であったと言えるが、その中核をなしていたのはマーラーとシベリウスと言えるのではないだろうか。
バルビローリのシベリウスは、何と言ってもヒューマニティ溢れる温かさが魅力であり、本盤に収められた演奏は、交響曲のみならず小品においても、どこをとっても人間的な温かさに満ち溢れていると言えるだろう。
それでいていささかも感傷的に流れないのはバルビローリのシベリウスの優れている点であり、常に高踏的な美しさを湛えている。
そして、その美しさはあたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えていると言えるところであり、バルビローリのシベリウスはまさに人間的な温もりと清澄な美しさが融合した稀有の演奏であると言えるのではないかと考えられる。
このような演奏は、とりわけ近年の北欧出身の指揮者による透明感溢れる精緻な演奏などとは一味もふた味も異なっていると言えるが、バルビローリのシベリウスには一本筋の通った確固たるポリシーがあり、シベリウス演奏の一つの理想像として有無を言わせない説得力を有しているものと言える。
交響曲第1番については、第1楽章の冒頭においてより鋭角的な表現を求めたい気もしないではないが、終楽章の心を込めたヒューマニティ溢れる旋律の歌い上げなども極上の美しさを誇っており、名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。
交響曲第2番については、壮麗な迫力と人間的な温もりが高度な次元で融合した、いい意味での剛柔のバランスのとれた素晴らしい名演。
常識的なバルビローリ調で一貫したステレオ盤に対し、モノーラルの方はメリハリが効き、強弱は思い切ってつけられ、速いテンポを基調としつつ、曲が進むにつれてますますスピード感がまし、しかも緩急のさばき方が圧倒的だ。
第1楽章後半の猛烈な嵐と猛烈な速さはめくるめくばかりで、こんな表現は他に類例がなく、初めて聴く人はバルビローリの指揮ということが信じられないだろう。
第2楽章に入ると指揮者の棒はいよいよ自由になり、アッチェレランドの激しさなど、まるでフルトヴェングラーのブルックナーのようだが、あのように音楽を歪めてしまうことなく、雄弁な語りがシベリウスそのものなのだ。
これはバルビローリが曲の本質や核心を鋭くとらえ切っているからに他ならない。
第3楽章の凄絶な突進とアクセントの決め方は、まるで戦いが始まったようで、ここではすべてが血のように赤い。
筆者としては折衷的なこの曲をあまり好んでこなかったのだが、本演奏なら夢中になる。
交響曲第5番については、とりわけ終楽章の有名な鐘の主題をこれほどまでに心を込めて美しく響かせた演奏は他にあるだろうか。
少なくとも、この極上の鐘の主題を聴くだけでも本名演の価値は極めて高いと言わざるを得ない。
そして白眉は何と言っても交響曲第7番ではないだろうか。
同曲の冒頭、そして終結部に登場する重層的な弦楽合奏の美しさは、まさに人間的な温もりと清澄さが同居する稀有の表現でありバルビローリのシベリウスの真骨頂。
本名演に唯一匹敵する存在であるカラヤン&ベルリン・フィルによる名演(1967年)における弦楽合奏も極上の絶対美を誇ってはいるが、その人間的な温もりにおいて本演奏の方を上位に掲げたい。
第2部から第3部への移行部に登場するホルンによる美しい合奏も、カラヤン盤をはじめ他の演奏ではトランペットの音に隠れてよく聴き取れないことが多いが、本演奏では、トランペットなどの他の楽器の音量を抑え、このホルン合奏を実に美しく響かせているのが素晴らしい。
第1部のトロンボーンソロはカラヤン盤がベストであり、さすがに本演奏もとてもカラヤン盤には敵わないと言えるが、それは高い次元での比較の問題であり本演奏に瑕疵があるわけではない。
もっとも、弦楽合奏のアンサンブルなどハレ管弦楽団の技量には問題がないとは言えないが、それでもこれだけの名演を堪能してくれたことに対して文句は言えまい。
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