2015年05月02日
フルトヴェングラー&ベルリン・フィルのシューベルト:交響曲第9番「ザ・グレイト」、ハイドン:交響曲第88番「V字」[SACD]
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筆者は他の演奏のレビューでもこれまでよく記してきたところであるが、シューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」の演奏は極めて難しいと言える。
それは、レコード芸術誌の「名曲名盤300選」などにおいて、著名な音楽評論家が選出する同曲の名演の順位が割れるのが常であることからも窺い知ることができるところである。
このことは、シューベルトをどう捉えるのかについて定まった考え方がないことに起因すると言えるのではないかとも考えられる。
フルトヴェングラーによるシューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」の名演として、本演奏以外に一般的に最もよく知られているのは、録音自体は極めて劣悪ではあるが、本盤と同じくベルリン・フィルを指揮した1942年盤(ライヴ録音)ということになるのではないだろうか。
当該演奏におけるフルトヴェングラーの表現はドラマティックそのもの。
あたかもベートーヴェンの交響曲のエロイカや第5番、第7番を指揮する時のように、楽曲の頂点に向けて遮二無二突き進んでいく燃焼度の高い演奏に仕上がっている。
このような劇的な性格の演奏に鑑みれば、フルトヴェングラーはシューベルトをベートーヴェンの後継者と考えていたと推測することも可能である。
しかしながら、本盤に収められた演奏は、1942年盤とは全く異なる性格のものだ。
ここでのフルトヴェングラーは、荘重な悠揚迫らぬインテンポで決して急がずに曲想を進めている。
シューベルトの楽曲に特有の寂寥感の描出にもいささかの不足もなく、楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような彫りの深さには尋常ならざるものがある。
本演奏は、あたかもブルックナーの交響曲のような崇高さを湛えていると言えるところであり、本演奏だけに限ってみると、フルトヴェングラーがシューベルトをブルックナーの先達であるとの考えに改めたとすることさえも可能である。
実際のところは、フルトヴェングラーがシューベルトを、そして交響曲第9番「ザ・グレイト」をどう捉えていたのかは定かではないが、あまりにも対照的な歴史的な超名演をわずか10年足らずの間に成し遂げたという点からして、フルトヴェングラーがいかに表現力の幅が極めて広い懐の深い大指揮者であったのかがよく理解できるところだ。
ただ、本演奏の弱点は、音質が必ずしも良好とは言えなかったところであり、従来盤ではフルトヴェングラーの彫りの深い表現を堪能することが困難であったと言わざるを得ない。
しかしながら、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって見違えるような素晴らしい音質に生まれ変わり、フルトヴェングラーの遺産の中でも特筆すべき出来映えに仕上がったと言えるところだ。
第1楽章冒頭のホルンの音色はいささか古臭いが、第2楽章の豊穣な弦楽合奏の音色、第3楽章の低弦の唸るような重厚な響きなど、ここまで鮮度の高い音質に蘇るとは殆ど驚異的ですらある。
これによって、フルトヴェングラーの彫りの深い表現を十分に満足できる音質で堪能できるようになった意義は極めて大きいと考える。
ハイドンの交響曲第88番「V字」も、シューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」と同様のアプローチによるスケール雄大で彫りの深い名演であり、第1楽章の弦楽合奏の豊穣で艶やかな響きなど、音質向上効果にもきわめて目覚ましいものがある。
いずれにしても、フルトヴェングラーによる至高の超名演を、このような高音質のSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。
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