2015年06月15日
ブーレーズのマーラー:交響曲第8番「千人の交響曲」
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本盤に収められたマーラーの交響曲第8番は、ブーレーズによるマーラーチクルスが第6番の録音(1994年)を皮切りに開始されてからちょうど13年目(2007年)の録音である。
このように13年が経過しているにもかかわらず、ブーレーズのアプローチは殆ど変っていないように思われる。
かつては、作曲家も兼ねる前衛的な指揮者として、聴き手を驚かすような怪演・豪演の数々を成し遂げていたブーレーズであるが、1990年代に入ってDGに録音を開始するとすっかりと好々爺になり、オーソドックスな演奏を行うようになったと言える。
もっとも、これは表面上のこと。
楽曲のスコアに対する追求の度合いは以前よりも一層鋭さを増しているようにも感じられるところであり、マーラーの交響曲の一連の録音においても、その鋭いスコアリーディングは健在である。
本演奏においても、そうした鋭いスコアリーディングの下、曲想を細部に至るまで徹底して精緻に描き出しており、他の演奏では殆ど聴き取ることができないような旋律や音型を聴き取ることが可能なのも、ブーレーズによるマーラー演奏の魅力の1つと言えるだろう。
今まで約25年間この曲を聴き続けてきたが、これほど鮮明でバランスのとれた演奏は初めてである。
俗物的な見世物の感が強い「第8」をこれだけ冷静に構築したブーレーズの手腕に拍手を贈りたい。
決して音楽に耽溺しない比類ないコントロールでまとめられた演奏に関しては否定する諸氏もおられようが、筆者は大いに評価したい。
音楽による生と宇宙の肯定を企図した「第8」は、第1部が(マーラーから見て)1000年前に中世マインツの大司教ラバヌス・マウルスが作ったラテン語賛歌、第2部がゲーテ「ファウスト」からの引用により構成されるが、第2部最後の「永遠に女性的なものがわれらを引いて昇り行く」という高揚した境地に至るまでの壮大なドラマが、ブーレーズ特有の緻密な音の積み上げにより巨大な峰にまで積み上がっていく様は「圧巻」である。
聴いてるだけでも大仕事だったろうということが想像されるが、この音の積み上げの「圧巻」が巨大なこの曲のボリュームと相俟ってこの作品を名盤としているように思う。
もっとも、あたかもレントゲンでマーラーの交響曲を撮影するような趣きも感じられるところであり、マーラーの音楽特有のパッションの爆発などは極力抑制するなど、きわめて知的な演奏との印象も受ける。
したがって、「第8」で言えば、ドラマティックなバーンスタイン&ウィーン・フィル(1975年ライヴ)やテンシュテット&ロンドン・フィル(1991年ライヴ)の名演などとはあらゆる意味で対照的な演奏と言えるところである。
もっとも、徹底して精緻な演奏であっても、例えばショルティのような無慈悲な演奏にはいささかも陥っておらず、どこをとっても音楽性の豊かさ、情感の豊かさを失っていないのも、ブーレーズによるマーラー演奏の素晴らしさであると考える。
過去と同時に未来を眺めていた作曲家、というのがブーレーズが各所で繰り返したマーラー評だが、そのような視点に立って、ロマン派的要素の濃厚なこの大作をブーレーズの緻密なフィルターを通して演奏してみたこの作品は、やはり「現代的」なのだと思う。
さらに、シュターツカペレ・ベルリンの落ち着いた演奏が、本演奏に適度の潤いと温もりを付加させていることも忘れてはならない。
ブーレーズは同曲をシュターツカペレ・ベルリンと録音したのは意外だったが、聴いてみてなるほどブーレーズの頭の中には全曲のきちんとした設計図があったのだな、と感心した次第である。
8人のソリスト、2つの混成合唱団と児童合唱団も最高のパフォーマンスを示している。
そして優秀な録音が、ブーレーズの緻密な隅々まで神経の行き届いた演奏を、見事に浮かび上がらせている。
最近のDGのオーケストラ録音は、目の覚めるようなものが多いが、巨大な管弦楽と合唱を伴ったこの交響曲では、セッション録音でなければ細部の音まで良く聴き分けられるのは無理だったと思う。
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