2015年03月05日
カラヤン&ベルリン・フィルのシベリウス:交響曲・管弦楽曲集
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カラヤンは、独墺系の指揮者では珍しいシベリウス指揮者であった。
他には、独墺系指揮者でただ1人全集を完成したザンデルリンクがいるだけである。
カラヤンは、「第3」を録音せずに鬼籍に入ってしまったが、録音の予定はあったと聞く。
これは大変残念なことではあるが、しかしながら、遺された録音はいずれ劣らぬ名演であると考える。
認知度が高いのは、フィルハーモニア管弦楽団時代の録音や、1960年代の「第4」以降の4曲を収録したベルリン・フィルとの録音であるが、何故か、1970年代の「第4」及び「第5」、そして、1980年代の本盤や「第2」、「第6」の認知度が意外にも低いのは何故であろうか。
特に、これらの演奏には、オーケストラの最強奏、特に、フォーグラーの迫力あるティンパニが、シベリウスにしては大仰過ぎる、更に一部の評論家によると、シベリウスの本質を逸脱しているという批判さえなされている。
しかしながら、シベリウスの本質とは一体何であろうか。
確かに、北欧風のリリシズムに満ち溢れた清澄な演奏が、シベリウスの演奏により相応しいことは認めるが、シベリウスは北欧のローカルな作曲家ではないのだ。
まさに、21世紀初頭を代表する国際的な大シンフォニストなのであり、それ故に、演奏様式はもっと多様であってもいいのではないだろうか。
カラヤンこそは、特に、認知度が低かった独墺系社会にシベリウスの交響曲や管弦楽曲の素晴らしさを認知させたという偉大な業績があり、作曲者も、カラヤンの演奏を高く評価していた事実を忘れてはならないだろう。
本盤の収められた交響曲集は、確かに、オーケストラが鳴り過ぎる、ティンパニが強靭過ぎるとの批判は予測はされるが、北欧風の清澄な抒情にもいささかの不足もなく、筆者としては、シベリウスの交響曲を、ドイツの偉大な交響曲にも比肩する芸術作品に仕立て上げた素晴らしい名演と高く評価したい。
併録の管弦楽曲集も、聴かせどころのツボを心得たカラヤンならではの名演だ。
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