2015年05月19日
シューリヒト&ウィーン・フィルのブルックナー:交響曲第8番、第9番[SACD]
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シューリヒトが最晩年にウィーン・フィルとともにスタジオ録音したブルックナーの交響曲第8番(1963年)と第9番(1961年)は、音楽評論家を含め多くのクラシック音楽ファンに支持されている不朽の名盤とされている。
1960年代前半という時期を考えると、ブルックナーの交響曲については、いまだ改訂版を使用した演奏が跋扈するとともに、ヨッフムが最初の全集を録音している最中であり、ましてや朝比奈やヴァントなどは箸にも棒にもかからない若造。
その意味では、当時においては本演奏は画期的な名演であったことが十分に理解できるところだ。
このうち、第8番については、近年のヴァントや朝比奈などによって確立された悠揚迫らぬインテンポによる演奏とはかなり様相が異なった演奏であり、速めのテンポと、随所においてアッチェレランドも含むテンポの振幅も厭わないなど、むしろドラマティックな演奏に仕上がっている。
ブラスセクションによる最強奏も圧巻の迫力を誇っているが、無機的な音は皆無であり、常に懐の深い音色に包まれているのは見事である。
そして、これほどの劇的とも言うべき豪演を行っているにもかかわらず、演奏全体の造型がきわめて引き締まったものとなり、いわゆるブルックナーらしさをいささかも失うことがないというのは、巨匠シューリヒトだけに可能な圧巻の至芸であるとともに、シューリヒトがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みにしているからにほかならない。
そして、このような荒ぶるような豪演に適度の温もりと潤いを付加しているのが、ウィーン・フィルによる美しさの極みとも言うべき名演奏である。
シューリヒトを深く敬愛していたとされるウィーン・フィルであるが、本演奏においてもシューリヒトの指揮に見事に応えて、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の熱演を展開しているのが素晴らしい。
これに対して、第9番については、悠揚迫らぬインテンポを基調とした演奏を行っている。
ブラスセクション、とりわけホルンの朗々たる奥行きのある響きの美しさは、これぞブルックナーとも言うべき崇高な美しさを誇っており、まさにウィーン・フィルによる美演を最大限に生かした神々しいまでの本演奏は、シューリヒトとしても最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地に達したものとも言えるのかもしれない。
各フレーズに込められたニュアンスの豊かさには尋常ならざるものがあるとともに、その端々から漂ってくる豊かな情感には、最晩年の巨匠シューリヒトならではの枯淡の境地さえ感じさせ、演奏の神々しいまでの奥行きの深さには抗し難い魅力がある。
第3楽章においては、もう少しスケールの雄大さが欲しい気もするが、第1楽章と第2楽章については文句のつけようがない完全無欠の崇高の極みとも言うべき名演奏であると言えるところであり、後年のヴァントや朝比奈と言えども、第1楽章と第2楽章に限っては、本演奏と同格の演奏を成し遂げるのが精一杯であったと言っても過言ではあるまい。
いずれにしても、本演奏は、シューリヒトのブルックナーの交響曲の演奏でも最高峰の名演であるとともに、ブルックナーの交響曲第9番の演奏史上でも、現在においてもなおトップの座を争う至高の名演と高く評価したいと考える。
音質については、先般、待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。
音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。
いずれにしても、シューリヒト&ウィーン・フィルによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
そして今般、第8番と第9番がセットで、しかも低廉に入手できる運びとなったことは慶賀の念に堪えない。
ネット配信が隆盛を極める中で、パッケージメディアの最後の砦はSACD盤であると考えられるところであり、通常CD盤と同じ位の価格で購入できる時代が漸く到来したのである。
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