2015年04月16日
クレンペラーのモーツァルト:4大オペラ
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まずは、モーツァルトの4大オペラがクレンペラーの名指揮の下で廉価で聴けるのを大いに歓迎したい。
「フィガロの結婚」は、異様なまでにテンポの遅い重厚な演奏だが、クレンペラーの巨大な視野に支えられた独自のバランスが保たれ、見事なまとまりを示している。
ここには愉悦の姿はないし、遅いテンポに適合できない歌唱も見受けられるが、それでも損なわれないだけの風格によって、クレンペラー晩年の芸術特有の味わいが立ち昇ってくるのである。
歌手ではグリストの名唱を筆頭にエヴァンスとバキエが印象的である。
「ドン・ジョヴァンニ」は、徹底的に19世紀ロマン主義の伝統を継承した演奏で、デモーニッシュなドラマとしての側面を強調する。
歌手もクレンペラーの意図を反映して、ギャウロフは豪胆で骨太、暴力的とさえいえるドン・ジョヴァンニを歌い、ベリーのレポレロには重厚さが目立つ。
ルートヴィヒ、クラス、ゲッダも責任を見事に果たしている。
この曲の最もスケール雄大なデモーニッシュな演奏として、独自の存在を主張するものだ。
「コジ・ファン・トゥッテ」は、通常の概念とは大きく離れてはいるものの、モーツァルトの音楽の粋からは決して逸脱していない、クレンペラーの作り出した全くユニークなドラマの世界が、ここに厳然とした姿で存在する。
世紀の巨匠の巨大な音楽的俯瞰力に支えられた縮縮尺に、聴き手の耳が慣れた時から、この演奏は独特の魅力と魔力を放ち始める。
歌手陣もその音楽の枠に見事に呼応しつつも、大いに自己主張することに成功している。
「魔笛」は、台詞をすべて省略した演奏だが、それはクレンペラーが絶対音楽としての純潔を志向していることを物語っている。
この剛直できびしい表現が「魔笛」のすべてではないが、そこに豊かで生き生きとした血と肉を与えたのは、充実したキャストによる見事な歌で、ひとつの完成した世界を生み出している。
クレンペラーの遺したモーツァルト・オペラの全曲盤の中では最も優れた傾聴に値する名演である。
クレンペラーの演奏は、全体的に動的というより静的で、でも細部の隈取がクリアで、いつも巨大なあざやかな壁画を眺めているような印象を受ける(実演は必ずしもそうでなかったようであるが)。
それが、やや色彩的にどぎつい後期ロマン派では、下手な演奏では下品になる所が、テンポの動きはあまりないけれど、全体としてスケールの大きい格調の高い、彫りの深い演奏となって実現する。
この音楽の傾向は、モーツァルトのオペラの中にあっては、「魔笛」「ドン・ジョヴァンニ」で特徴的に見事な表現となって現れる一方、「フィガロの結婚」では、序曲とか、ケルビーノの試着の場とか、何というかもう少し、浮き立つようなエラン(活気)のようなものがあってもいいのではないかと思わないでもない。
ただ同じ傾向の作品である「コジ・ファン・トゥッテ」は、そうでもないところが面白い。
ただ多少の相違はあっても全体としてクレンペラーのスタイルは一貫していて、それを味わうセットと判断すべきであろう。
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