2015年05月06日
インバル&フランクフルト放送響のブルックナー:交響曲全集
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インバルが、約20年以上も前に完成させたブルックナーの交響曲全集であり、一部の交響曲については再録音も行っているが、今なおその存在価値を失わない永遠の名全集と高く評価したい。
その理由はいくつか掲げられるが、何よりも、初稿が出版されていた交響曲については、可能な限りそれに拘ったという点を第一に掲げるべきであろう(「第2」は、当時、ギャラガン校訂版が出版されておらず、やむなく1877年版を採用。「第7」については、ノヴァーク版を使用)。
本全集の録音当時は、ブルックナーの交響曲を、初稿を用いて演奏した例など殆どなく、音楽学者の学究対象でしかなかった。
現在でこそ、ケント・ナガノや、シモーネ・ヤングなどの初稿を用いた優れた名演が数多く登場しているが、本全集録音当時は鑑賞することさえままならない時代であったのである。
そのような時代に、インバルが初稿の魅力にいち早く着目して録音を行ったということは、今日における初稿の再評価に先鞭をつけたということであり、これはインバルの先見の明の証左と言えるのではないだろうか。
第二に、本盤には、第00番や第9番のフィナーレの補筆版など、演奏されることすら稀な楽曲を盛り込んでいることであり、これには、前述の可能な限り初稿を採用するとの姿勢と相俟って、ブルックナーの本質を徹底的に追求しようというインバルの並々ならぬ意欲を大いに感じることが可能である。
第三に、演奏にはムラがなく、いずれも高い水準の名演であるということである。
インバルの各交響曲に対するアプローチは、やや速めのインテンポで、曲想を精緻に描き出していくというものであり、その凝縮化され引き締まった演奏全体の造型は極めて堅固なものだ。
金管楽器も最強奏させているが、いささかも無機的に陥ることはなく、ゲネラルパウゼの用い方も実に効果的だ。
それでいて、ブルックナー特有の聖フローリアンの自然を彷彿とさせるような抒情豊かさにおいても抜かりはなく、剛柔併せ持つ雄渾な名演に仕上がっている。
これは、ヴァントが1990年代になって成し遂げる数々の名演を予見させるものであり、このような名演を、ブルックナーの交響曲の演奏様式が、多分にロマン的な要素が支配するなどによって未だ確立したとは必ずしも言えなかった1980年代に、原則として初稿を用いて成し遂げたという点に、筆者は、インバルのブルックナーに対する深い理解と飽くなき探求心を大いに感じるのである。
古今東西の指揮者において、マーラーとブルックナーの両方を得意とした指揮者は皆無と言ってもいいと思うが、マーラー指揮者として名高いインバルによる本全集や、最近発売された「第5」「第7」「第8」の名演を聴くと、インバルこそは、マーラーとブルックナーの両方を得意とした史上初めての指揮者との評価もあながち言い過ぎではないのではないかと考える。
インバルの薫陶を受けたフランクフルト放送交響楽団も、持ち得る限りの最高のパフォーマンスを披露している。
本全集の再発売を機会にリマスタリングが行われたとのことであるが、音質は初期盤と比較すると明らかに向上しており、この歴史的な名全集の価値をより一層高めることに大きく貢献している点も忘れてはならない。
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コメント一覧
1. Posted by 鮭介 2014年02月17日 22:09

2. Posted by 和田 2014年02月17日 22:34
努力します。