2015年04月14日

ベームのモーツァルト演奏


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最近ベームのモーツァルト関係の映像をいくつか見直してみて、やっぱりすごいと感嘆した。

晩年は身振りはもうほとんどわずかで、手先が揺れるばかりのところも多いのだが、ベームの眼光は音楽のすみずみにまでゆきわたっていて、ほんの小さな動きにも、オーケストラが瞬時に反応する。

わずかの身振りでこれだけの結果を引き出す指揮者というのも、滅多に例がなかろう。

ウィーン・フィルを指揮してのモーツァルトの交響曲、視覚的には、枯れ切った老人がつまらなそうに棒を振っているようにしかみえない。

だがそれにもかかわらず、オーケストラからはふっくらした美しい歌が、みずみずしく流れ出てくる。

これは本当に不思議なことで、音楽の本質がよほどしっかりとらえられていなくては、ありえないことだと思う。

晩年には伝統の象徴のようにみなされたけれども、ベームはわれわれに、新しい音楽を届け続けてくれた指揮者だった。

ところでベームが自分のワーグナー演奏を「モーツァルトとバッハによって浄化されたワーグナー様式」と呼んだことは有名だが、古典から現代に至るベームのレパートリーの中心には、いつもモーツァルトがあった。

すてきな自伝『回想のロンド』(高辻知義訳、白水社)の中で、ベームはモーツァルトについて、こう語っている。

「わたしが彼に捧げてきた愛情のすべてを彼は千倍にもしてわたしに報いてくれた。彼はいつもわたしに、苦難のときでも決して自分の職業に失望しないようにと、勇気を授けてくれた。彼は、新しい行為におもむくとき、いつも活力を汲むことのできる霊泉のような存在である」。

そして今では、ベームの遺したモーツァルト演奏が、あたかも「いつも活力を汲むことのできる霊泉」と化したかのように、われわれを力づけてくれる。

ベームの変わらざる新鮮さの秘密は、どこにあるのだろう。

往年の巨匠が大オーケストラを使って演奏するモーツァルトというと、われわれはつい、肉厚で量感のある、拡大志向の響きを連想する。

しかしベームの引き出す音は、テクスチュアを一目で見わたせるように、内側にさわやかに引き締まっており、そしてそこに「かくあるべし」という理念がピーンと張り詰めている。

ベームは若い頃から、演奏の正確さで定評があり、楽譜を丹念に読み、その無駄のない再現のために、妥協のないリハーサルを重ねた。

頑固一徹で、がみがみとやかましいというイメージが、しごかれる楽員の側にはあったという。

だがそれは、作品の精神的内容に対する純朴な敬意に支えられていたから、彼の演奏は決して、味のない機能主義に陥ることがなかった。

重要なのは、ベームのトレーニングがオーケストラを支配するためでなく、オーケストラの特徴を最大限に生かすために行われたということである。

大指揮者のうちでもベームほど、オーケストラによって、味わいに違いの出た指揮者は少ない。

ベームのすばらしさは、そのゆるぎのないリズム感にあり、とくに拍子の感覚は、つねに厳正そのものであった。

先ほど「かくあるべし」という言葉を使ったが、筆者はベームの演奏を聴くと、カント以来ドイツ人の追い求めてきた道徳的理想のようなものが、とくにその拍子感覚に脈打っているように思えてならない。

いずれにせよベームの刻む拍節は、演奏にがっちりとした構成感を与え、「正しく生きることの爽やかさ」をさえ、そこに匂い出させた。

ベームはしばしば、よい意味での職人にたとえられた人で、たしかにベームは、音楽に流されず、音楽を厳しく統括することのできる「プロの」指揮者だった。

上述の『回想のロンド』の中で、彼は指揮の極意を、次のように述べる。

「指揮者は同時に作品の中と、作品の上にいなければならない。誤った音を聴いて修正することができなくなったら、各楽器の強弱をつねにコントロールできなくなったら、彼はオーケストラから見放されたのである。そのような瞬間に彼の権威も失墜する……」。

指揮者は、音楽の流れにみずから酔うわけにはいかず、自分をその誘惑から、厳しく律していかなくてはならない。

こうした「道の厳しさ」を確信をもって追求し続けた指揮者が、カール・ベームだった。

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classicalmusic at 20:50コメント(4)モーツァルト | ベーム 

コメント一覧

1. Posted by Kasshini   2015年02月03日 14:39
DVDを昨年買いましたが、最初の出会いは、youtubeの動画でした。
https://www.youtube.com/watch?v=yRUlzJn8UeU
小振りで無駄のない指揮ぶりで有名なライナー、セルとyoutubeで見ましたが、年齢もあってだと思いますが、これほど、コンパクトなタクト裁きを他に知りません。ショルティも、スクロヴァチェフスキもずいぶん大振りですし、ラトルBBC マラ8の印象ではfffを指揮するときは、渾身の力を込めて大振りしている印象があります。
話を戻すと、更に峻厳な目で、威嚇するように合図を送っていて。よく知った者同士というのもありますが、この息の合ったアンサンブルは、同曲におけるモダンオケではセル・クリーヴランドに並ぶ金字塔です。ヴァルター・ヴィーンフィルコンビで、フィナーレにおけるユピテル音型をホルンで歌わせる演奏があれば、またかわりそうですが。同コンビ演奏では
http://homepage3.nifty.com/mahdes/myckb3a3c.htm で挙げられた
1966年ザルツブルク音楽祭が良さげですが、まず手に入らないのが何とも。
2. Posted by 和田   2015年02月03日 15:50
ひとつ裏情報を。
「ベームは平気で人を傷つけるんですよ。人の心をズタズタにするような言葉を多勢の前でよく口にしました」。「ベームは典型的な宮廷楽長(カペルマイスター)タイプの音楽家でした。そう、古いタイプの。傲慢で、思いやりがなくて」。亡くなって30年を経た今でも、ベームの本拠地であったウィーンでこのようなことが語られています。
偉大な人物ほど世人の評価は両極に二分される傾向があるので(トスカニーニ、そしてカラヤン!)、批難は人物像の大きさの反映かとも思っていたら、さにあらず。近年西欧のレコード産業はこの人に冷たく、遺した業績に対する評価も年々低下の傾向にあります。
このヨーロッパにおける「忘れられ方」の早さ…。人物を語り、芸術を語るのはまさに難事であると痛感しました。
一点。ベームの演奏は内容の濃い作品ほど面白くないことに最近気付きました。例えば、ベートーヴェンの交響曲では第3番《エロイカ》や第9番《合唱つき》など。モーツァルトのオペラでも、《フィガロの結婚》《ドン・ジョヴァンニ》《魔笛》は今となっては面白くないです。
歳月の流れとは恐ろしいものです。生前気がつかなかった「何か」が見えてきます。
3. Posted by Kasshini   2015年02月04日 15:14
裏情報の話で一言。
沈んだ楽団員を励ます力を持っていたセルが、ねちねちと公然と、団員を傷つけたからみるとぬるい印象を持ちますが、この噂話の飛び交い方は、ヴィーンと日本は、本音と建て前文化で似ているのでしょうか。教徒とヴィーンはそういうところで似ていると書いていた本を見たことがあります。カラヤンも、かい離がひどいですね。自己愛性パーソナリティー障害を持っていた可能性があるとも。しかし、ベームはこの点に対して、酷いですね。
私は、信仰上民音にも縁があり、ヴィーン国立が劇場初の引っ越し公演の謝辞も読んだことがあり、やはりベームとヴィーンフィルには、憧れがあります。
演奏と、人物を人間性が絡むところは別として、切り分けて、語るのは難しい。私もそう思います。坂本龍一の音楽スコラでもおなじみの岡田氏、そして故・吉田秀和氏は、それができる数少ない尊敬しているかたですが、彼らとて、欧州の流行に乗っているだけとか書かれていますよね。
ベームでがっかりしたのは、最晩年ヴィーンフィル ベートーヴェン第9、ベルリンフィルとの魔笛、そしてトリスタンが、あまり印象に残らなかったです。私にとってのベームのベストは、このユニテルのジュピターです。ヴィーン交響楽団との33番、39番も好きです。
4. Posted by 和田   2015年02月04日 16:40
日本におけるベームの人気はすごかったですね。ことに最晩年は神様あつかいでしたが、実力に関係なくマスコミが騒いだものにとびつく、というこの国の聴衆の傾向を如実に示す現象でした。
私見ではベームの全盛期はせいぜい1970年代の初めまでで、それ以後はタガがはずれた名職人になってしまいました。スケールはやたらに大きいけれど、緊張力に欠けていました。
しかし、1950年代、60年代の彼は素晴らしかったと思います。元来が芸術家というより職人タイプであり、厳しいリハーサルによって音の堅固な建築物を創りあげてゆきます。
「音楽において最も大切なのは造型である」と語るベームだけに、内容をともなった有機的なひびきと凝縮された迫力に充ち満ちています。形が凝縮されたぶん、スケールは必ずしも大きくないし、色気や艶にも乏しいですが、一ヵ所として隙間風の吹かない、充実しきった音楽を聴かせてくれたのです。
ベームが単なる職人ではなかったという証は、彼が実演でこそ燃えるタイプだったということなのですが、おびただしいディスクのほとんどがスタジオ録音であり、たとえ全盛期のものであっても、本来の実力を充分に伝えていないと思われます。モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスなど、彼の最も得意とする交響曲の数々がベストの出来映えを示していないことはたいへん残念なことです。
親日家であり、1975年の来日公演における「ブラ1」は、忘れることのできない熱演でしたが、1970年代後半になると、彼は舞台上においてさえ燃えなくなってしまいました。そうなると、ベームの音楽は最後の決め手を欠くことになります。
私にとってのベームのベスト盤はワーグナーの「さまよえるオランダ人」(1971年バイロイトライヴ)です。終始鮮烈きわまりない表現で「水夫の合唱」の部分などおそるべき生命力です。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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