2015年04月16日
ギレリス&セルのベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番、第4番
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最盛期のギレリスが巨匠セルとともに残した名匠同士によるベートーヴェンで、ギレリスとセルという名手同士ががっぷり四つに組んで作り上げた名演だ。
クリーヴランド管弦楽団をセルの楽器と称されるまでに徹底的に鍛え上げたセル、そして、鋼鉄のピアニストとの評価がなされたギレリスの両者の組み合わせ。
この両者が組んだ協奏曲は、何か血も涙もないような冷徹な演奏に陥ってしまうのではないかとの懸念もあったが、本盤を聴いて、それは杞憂に終わった。
それどころか、燃えたぎる緊張感の中にも精妙で美しい演奏は、ギレリスのピアノとセル&クリーヴランド管弦楽団の特質が見事に合致したもので、その澄み切った音楽は感興に満ちており、実に懐の深い滋味溢れる名演に仕上がっている。
このような名演になった要因は、最晩年のセルの芸風にあると言えるだろう。
確かに、1960年代前半までのセル&クリーヴランド管弦楽団の演奏は、精緻なアンサンブルが売りであった。
オーケストラのすべての楽器の音が1つになるような鉄壁さは脅威とさえ言えるもので、筆者も、セル亡き後のクリーヴランド管弦楽団のレコーディングにおいて、いまだにその残滓があることに唖然とした記憶がある。
そうしたセルも、1960年代後半の最晩年になると、精緻なアンサンブルを維持しつつ、ある種の柔軟性が出てきたように思う。
それが、単なる老化によるものか、それとも、芸風の深化によるものかは定かではないが、いずれにせよ、演奏に滋味豊かさが加わったのは事実である。
そんな滋味溢れる名演の1つが本盤であると考える。
そうしたセルの演奏に、ギレリスも見事に応え、ここでは、鋼鉄のピアニストの看板を投げ捨て、セルとともに、温かみのある演奏を繰り広げているのが素晴らしい。
ギレリスのピアノは、ハッタリや過剰なロマンは皆無、素晴らしい粒立ちのタッチで、1つ1つの音符を慈しむように丁寧に弾き、それが素晴らしい叙情性を生む。
それでいて、ピアノとオケ双方が一切の甘えを排した、解釈も含めておそらく最も厳しいベートーヴェン演奏とも言える。
隅から隅まで表現がシンクロしており、協奏曲表現としては、これを超える演奏は難しいのではないだろうか。
細かい合わせも見事(ピアノ独奏からオケの総奏になだれ込むところを聴くべし!)で、鳥肌が立つ。
セルはやはり上手いし、最高の演奏効果が実現するギレリスの演奏スタイルも、ベートーヴェンにピッタリで、もう何から何まで筋書き通り。
緊張感を伴いながらの精妙で美しい演奏は、ギレリスのピアノとセル&クリーヴランド管弦楽団の特質が見事に合致したことを示すもので、その澄み切った音楽は感興に満ちた素晴らしさに富んでいる。
いわば両者のベートーヴェンの音楽に対する愛着が滲み出て来るような演奏で、力技や効果狙いは皆無、ゆっくり目のテンポ、掌の上で音楽を大切に転がすような取り扱いが、なにか忘れていたものを大切に差し出させれているようだ。
両者が共に1つの世界を作り出すことをここまで徹底して実現したこの記録は、多くの人に賞賛されてしかるべきだと思う。
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