2015年04月27日
C・クライバー&バイエルン国立管のベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
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1983年11月7日、バイエルン国立歌劇場アカデミー・コンサートのライヴ録音(ステレオ)で、入手できる海賊盤もなく、大変貴重な演奏。
桁外れな才能に恵まれながらも、レコーディングにはほとんど関心を示さず、また、ライヴ録音に関してもなかなか承認しないことから、生きながらすでに伝説と化していた感のある天才指揮者、カルロス・クライバーが珍しくも許諾したライヴ音源。
カルロス・クライバーが最後に指揮してから一体何年が経つのだろう。
“指揮台に立つだけで奇跡を巻き起こす超カリスマ指揮者”も1990年代に入るとほとんど活動を停止してしまい、隠遁の身となり、2004年に帰らぬ身となった。
そしてカルロスがまだ生きていた頃、こうしてとうとう30年以上も前のライヴ録音までが発掘されたのは、うれしいような悲しいような、ファンとしては複雑な思いにさせられる。
しかし、このディスクの内容は聴き手の期待感をはるかに上回る、霊感に満ちた、信じ難いほどの個性的な名演である。
ことに響きの密度の濃さはただごとではない。
オーケストラが、「何となく全体で」鳴っているのではなく、「一つひとつの楽器が心を寄せ合って」歌っているのが、第1楽章の冒頭のあの有名なメロディから、すぐにわかる。
異常に速いテンポだが、違和感はまったくない。
第2楽章も、何という音楽的な、凛(りん)としたしなやかなカンタービレなのだろうか!
高原の風のように、これほど胸いっぱいに吸い込みたくなる、澄み切った空気が、音楽によって体験できるとは…。
この楽章最後の、カッコウのような木管の掛け合いの美しさには涙が出る。
疾走する第3楽章は愉悦のきわみで、カルロスの舞踊的なセンスのひらめきは天下一品だ。
第4楽章の雷と嵐は、指揮者によって演奏の良し悪しが非常にはっきりと出る部分で、つまらない演奏で聴くと雨が降ったのかどうかも気がつかないほどだが、カルロスの手にかかると、聴き手の誰しもが全身ずぶぬれになる。
クライマックスの一撃は言葉を失うほど壮絶で、遠のく遠雷のティンパニさえも、雷神の背中のようにたくましい筋肉で盛り上がっている。
この楽章の意味するものが、“自然の偉大な力への畏怖”であるということに、改めて気付かせられる。
第5楽章は、誤解を恐れずに言えば、実に男らしい愛に満ちた演奏である。
これっぽっちもベタベタしたところがなく、強くて線が太い。
そしてこのうえもなく優しくて暖かい。
演奏後の拍手とブラヴォーの盛り上がりの素晴らしさが、生演奏の会場でいかにカルロスならではの“奇跡”が起きていたかを証明している。
やはり、あの指揮ぶりをもう一度この目で見たかった! そんな渇望感を覚えずにはいられない、ファン必聴のディスクである。
ただし、オーケストラに保管されていたオリジナルのマスター・テープは、部分的に劣化していたため、カルロスの息子に渡されていたカセットへのコピーもCD化の際にマスターとして使用したとのことで、ステレオとはいえ音質は冴えない。
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