2015年05月01日
シューリヒト&フランス国立管のハイドン:交響曲第104番「ロンドン」、ブラームス:ヴァイオリン協奏曲(シェリング)、シューマン:交響曲第2番(1955年ライヴ)
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1955年秋、モントルー音楽祭での実演録音で、シューリヒト絶頂期の姿が刻み込まれている貴重なディスク。
ハイドンの第104番「ロンドン」はロマンティックな表情が濃厚で、レア発売当時からその個性的な解釈が話題となったもので、星の数ほどあるハイドンのディスク中、間違いなく最上級を狙う演奏である。
少なくとも、筆者はハイドンと言わず、自分の知る全レコード中でもトップ10に入れたいほど愛好しており、聴いていて、こんなに幸せを感じるレコードは、それほど多くはない。
シューリヒトは、後年のモーツァルトの交響曲やブルックナーの交響曲第8番や第9番の名演から、颯爽としたインテンポを基調とする巨匠とのイメージがあるが、特に本盤に収められたハイドンの第104番は、そうしたイメージを覆すのに十分な、緩急自在の絶妙のテンポの変化を基調とする超名演だ。
ハイドンは、第1楽章の荘厳な序奏に引き続く主部の堂々たる歩み。
第2楽章は一転中庸のテンポとなるが、中間部はテンポを絶妙に変化させ、ハイドンの抒情豊かな名旋律を格調高く歌いあげている。
第3楽章は最強奏で開始するが、一瞬のゲネラルパウゼや中間部のややためらいがちなヴァイオリンの入り方の何という巧みさ。
終楽章はいつもの颯爽としたシューリヒトであるが、時折見せるテンポの変化も実に効果的だ。
どんなにロマンティックに歌っても清潔感を失うことがなく、ベートーヴェンの「田園」でも聴かせた「超レガート奏法」は、まったく浮き世を超越している。
シューマンの「第2」も、やや音質が落ちるものの、ハイドンと同様に、緩急自在のテンポを基調とした名演を繰り広げている。
第1楽章は、睡眠薬による白日夢のような序奏に始まるが、シューリヒトは我々を否応なしにシューマンの錯綜した精神の森へと誘う。
トランペットの調べが遠い叫び声のように響き、音楽は幾重にも重なった心の闇の中を進むのだが、シューリヒトの往く道は常に明るく照らされている。
第2楽章も精神的な闘争だが、まるで妖精たちの森へ迷い込んだような趣があり、第3楽章の歌もシューリヒト一流のロマンの衣裳を纏い、実に陶酔的である。
フィナーレは、心に悩みを抱きながら無理に笑っているような、ベートーヴェン的な勝利とは無縁の音楽であるが、シューリヒトは、シューマンの晦渋さを明快な音楽に翻訳して、我々を愉しませてくれるのである。
シューリヒトが素晴らしいのは、ハイドンにしてもシューマンにしても、テンポにいかなる変化を加えても、全体の造型にいささかの狂いもなく、しかも音楽の格調高さを失わないことであり、これこそがシューリヒトをしてドイツ音楽の正統派の巨匠として認知される所以なのだと思われる。
ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、シェリングの独奏に合わせたせいか、テンポの変化は幾分控え目であるが、双方の渋い芸風がブラームスの楽曲に見事にコラボ。
シェリングの熾烈なまでの一途さと禁欲的な真摯さに打たれるし、格調高くぐいぐいと音楽を推進させる指揮者とあまりにも見事な独奏者のやりとりが、実に厳しく、そして美しい。
これこそ、ブラームスを聴く醍醐味と言える名演だ。
放送局音源だけに音質も優秀であり、レア当時より鮮明な音質でこれらの名演が充分堪能できるのがとても嬉しい。
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