2023年03月28日
卓越したリハーサル術と指揮法🫰🏻様々なオーケストラと素晴らしく息の合った演奏を聴かせた👨🏻🦲シューリヒト&コンセール・コロンヌ管🍂ブルックナー:交響曲第7番🥂
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シューリヒトのブルックナーの「第7」と言えば、ハーグ・フィルとのステレオ録音盤が名演として誉れ高い。
確かに、ハーグ盤は、シューリヒトの晩年の枯淡の境地を示すいぶし銀の名演であるが、オーケストラがきわめて非力という欠点があり、音質もやや冴えない。
シューリヒトが遺した同曲の録音で、筆者の手元にあるディスクでは、古いところではベルリン・フィルとのスタジオ録音(1938年)、そして1950年代でシュトゥットガルト放送響とのライヴ録音(1953年)、北ドイツ放送響とのライヴ録音(1954年)、本盤に収められたコンセール・コロンヌ管とのライヴ録音(1956年)、フランス国立管とのライヴ録音(1963年)、そしてハーグ・フィルとのスタジオ録音(1964年)が現時点で存在する。
筆者もその全てを聴いてみたが、特に本盤を含め特に1950年代のライヴ録音とハーグ盤とは全く演奏の性格が異なるのに大変驚いた次第である。
“端麗辛口”、これがこの指揮者の一般的な認識であったし、筆者個人の見解も同様であった。
しかし、最近になってゾロゾロと出てくるシューリヒトのライヴ録音には恐ろしく大胆で濃厚な演奏も多く、「この指揮者は一体何なのだ」というのが最近の印象だ。
このようにシューリヒトの演奏がライヴとスタジオ録音で別人のように異なる場合があるのが知られてきたわけだが、珍しくコンセール・コロンヌ管弦楽団に客演した(1956年ライヴ)このブルックナーは、この指揮者のライヴのなかでも燃焼度の高い演奏である。
卓越したリハーサル術と指揮法によって、様々なオーケストラと素晴らしく息の合った演奏を聴かせたシューリヒトだけに、ここでの成果も見事なもので、ハーグ盤とはまた違った魅力を放っていて感動的だ。
ここでの演奏は、コンセール・コロンヌの独特の音色を生かして、実演ならではの濃やかなアゴーギクと思い切った表情付けを施したものである。
第1楽章のラストの圧倒的な盛り上がり、第2楽章のむせ返るような抒情の嵐、第3楽章の快速のスケルツォを経て、終楽章の緩急自在のテンポの変化を駆使した劇的な大演奏。
このようなドラマティックな演奏は、ブルックナー演奏としてはいささか禁じ手とも言えるが、シューリヒトの場合には全く違和感がなく、ブルックナーとの抜群の相性を感じるとともに、シューリヒトのブルックナーの本質への理解の確かさを感じざるを得ない。
そのエネルギーが尋常ではないのだが、決して破れかぶれではなく、常に頭脳は明晰に冴え渡っており、音楽の運びは理知的で、道を踏み間違えるときがない。
弦のボーイングにも工夫の跡が聴かれるアクセントで、要所をピタリと止めて輪郭をくっきりさせながら上り詰める自然な高揚感と、鳴り切っても細部が明瞭で濁りがない音は、シューリヒトならではのもので、特にこんな個性的な第2楽章はシューリヒトでなければ成し得ないものだろう。
シューリヒトの個性が存分に発揮されているだけでなく、この曲のあらゆる演奏の中でも異彩を放つ名演として記憶されるだろう。
重量感を伴った硬質なブルックナー演奏については好き嫌いがあるかもしれないが、ここでもシューリヒトは自らの主張を貫き、この組み合わせでなければ実現できない一期一会の演奏を実現している。
コンセール・コロンヌ管弦楽団もシューリヒトの確かな統率の下、鬼気迫る大熱演を繰り広げている。
音質も鮮明で細部の動きを明確にとらえており実に面白く、第3楽章の冒頭などデッドな響きも散見されるが、全体として生々しさがあり、この当時のライヴとしては、十分に満足できる水準だと言える。
ライナーの平林氏の解説も、いつもながら実に充実した内容であり、素晴らしい。
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