2015年05月01日
バルビローリ&ベルリン・フィルのマーラー:交響曲第6番「悲劇的」(1966年ライヴ)
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これは同じくベルリン・フィルと1964年にスタジオ録音した第9番とともにバルビローリ屈指の名演だ。
バルビローリは、どちらかと言えば北欧音楽や英国音楽を得意のレパートリーとした指揮者として広く知られているが、マーラーの交響曲についてもコンサートで頻繁に採り上げるとともに、ライヴ録音などを含めると相当数の録音を遺しているところである。
交響曲第6番についても複数の録音が遺されており、本盤に収められたベルリン・フィルとの演奏(1966年(ライヴ録音))、そしてニュー・フィルハーモニア管弦楽団との演奏(1967年(ライヴ録音及びスタジオ録音の2種))の3種の録音が存在している。
今後も、更に録音が発掘される可能性は否定できないが、これら3種の録音はいずれ劣らぬ名演である。
この中で、バルビローリにとっても同曲の唯一のスタジオ録音は、2種のライヴ録音とは、その演奏の性格が大きく異なっているところだ。
そもそもテンポが大幅に遅くなっている。
トータルの時間でも10分以上の遅くなっているのは、前述のライヴ録音盤がいずれも約73分であることに鑑みれば、大幅なスローダウンと言えるだろう。
これに対して、1966年ライヴ録音(本盤)と1967年ライヴ録音盤は、オーケストラがベルリン・フィルとニュー・フィルハーモニア管弦楽団の違いがあるものの、演奏全体の造型やテンポ、そしてアグレッシブな豪演などと言った点においてはほぼ共通するものがある。
それだけに、本演奏におけるバルビローリの感情移入の度合いには尋常ならざるものがある。
バーンスタインやテンシュテットなどに代表されるドラマティックな演奏や、はたまたブーレーズなどによる純音楽に徹した演奏などとは異なり、滋味豊かな情感に満ち溢れるとともに、粘着質とも言うべき濃厚な表情づけが特徴である。
冒頭からウンウンうなりながらの熱演で、どっしりと重心の低い解釈で肉薄している。
ここぞという時のトゥッティにおける強靭な迫力にもいささかも不足はないが、そのような箇所においても独特の懐の深さが感じられるのが、バルビローリによるマーラー演奏の性格をより決定づけているとも言えるだろう。
本演奏でもかかるアプローチは健在であり、情感豊かにこれほどまでの濃厚で心を込め抜いた演奏は、かのバーンスタイン&ウィーン・フィルによる超名演(1988年)ですらすっきりとした見通しの良い演奏に感じさせるほどであり、聴き終えた後の充足感には曰く言い難いものがある。
「悲劇」を予想させるこの交響曲に広がる力の大きさをもって向かうバルビローリの感情移入した姿勢は、聴き手の共感を得、ひしひしと響きが伝わってくる。
なお、バルビローリは、近年ではマーラーの最終的な決定を尊重するという意味で主流になりつつあり、1967年スタジオ録音では従来どおりの入れ替えないバージョンで演奏を行っていたが、本盤に収められた1966年ライヴ録音盤と1967年ライヴ録音盤では当時としては珍しい、スケルツォ楽章(第2楽章)とアンダンテ楽章(第3楽章)を入れ替えるバージョンで、演奏を行っていたのは実に興味深いと言えるところだ。
第1、3楽章の強迫感、第2楽章の悠然としたスケール、そして度肝を抜くフィナーレはまさに必聴である。
また、バルビローリの濃厚で粘着質な指揮に、ベルリン・フィルが必死で喰らいつき、持ち得る実力を十二分に発揮した渾身の名演奏を展開しているのも素晴らしい。
いずれにしても、本演奏は、バルビローリの同曲への深い愛着と思い入れを感じることが可能な入魂の名演と高く評価したいと考える。
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